ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

小学校教員が本当の先生。大学教員は穀潰し。東京大学は残念すぎる学校。

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わたしは大学教員を毛嫌いしているようだが、大学教員すべてが無能だと言っているわけでは、もちろんない。
ごくごくまれにだが、大学にも有能な教員がいるだろうし、すべての大学が不要だ、とは思わない。
ある種の「大学」は、残るだろう。

教員は、小学校で一番仕事をしている。次に中学校、そして高等学校の教員が、仕事らしきことをしている。そうせざるを得ないから、給料分またはそれ以上以下の、仕事をする。

しかし、大学教員は、「仕事」をしなくても、十分に食っていける待遇にある。それを「いかがなものか」「けしからん」と言っているのである。

人は誰でも、安易につく。責めてはいけない。あなたも私もそうである。議員どもを見るといい。有象無象の職業を見るといい。

小学校では、教員が働き者である理由は、相手は鼻垂れ小僧である。親の目も厳しい。世間も小学校教員を、特別扱いにしない。真面目に働かざるを得ない。

中学校教員は、不良の出来損ないみたいな子を扱う。これまた、ご苦労で、教員への親の目は、多少甘くはなるものの、その分だけ、生徒が難しい。女性教員には大変な仕事である。

高校教員は小中学校に比べると、楽勝である。それでもまだ教員らしい仕事の、いくつかはしなければならない。中には、先生らしい者もいる。

大学教員は、書くのも憚られるくらい「でたらめ」が横行している。あれは職業ではない。「先生」では、もちろんない。暇人であり、売名であり、思い付きであり、仲間内の談合であり、寄合であり、独りよがりであり、つぶやきであり、傲慢であり、害虫のような連中である。

しかし、ごくまれに、教えることも「研究」も、それなりの教員もいるかもしれない。まっとうな教員のいる大学は、滅多にない。ほとんどは、即刻潰してかまわない大学ばかりである。

これ以上は無駄だから、言わないが、わたしが小学校教員を、先生として認めること多く、大学の教員を唾棄するほどに嫌うのは、このような理由からである。

 

さて、大学では東京大学が「人気」がある。


東京大学は、残念な大学である。
今どき、東大を「最高学府」などと考えている人はいないだろうが、昔は、大学が少なかったから、田舎から東大を目指す人が多かった。
たくさんの学生を抱えていれば、中には、まれに優秀な人材もある。

過日、某大手新聞社の男と話していて、社風を厳しく論難したら、いいえ、社にもいろいろな人がいるから、などと口答をする。

組織が大きければ、様々な考えの人がいるのは当然である。しかし、紙面に出る記事は、デスクの判断で決まる。デスクの思考が、偏向している事実には変わりがない。

大学も同じことで、東大にも、まともな人がいるよ、では通用しない。
金を一番ぶんどっておきながら、反日で、偏向教育を進める教員が多い。


東大は税金を食いすぎである。予算に見合った業績はないくせに、国家の独立や興隆を嫌がって、国益を損なうことには、とりわけ熱心だ。時流に乗って、マスコミにも、他国にも、すり寄る傾向がある。
まったくもって、トンでもない連中である。

東京大学を、解体処分することを提言する。暇人の巣窟であることの他、以下の解体理由も加えよう。
「老朽化による競争力低下の予想と保有資産の活用再検討の必要性を理由に営業終了」(旧 赤坂プリンスホテル

ついでに言うなら、NHKと称する独占企業も怪しすぎる。あれは、ご都合主義の反日組織である、あるいは諸外国の指示通り動く扇動組織である。時の政権にゴマをする保身集団である。そのくせ日本国民を侮蔑する。
理由は、すでにご承知だろうから書かない。

 

コロナウイルス万歳(byマスコミ)。飲み会万歳(by沖縄県議会)。バイデン万歳(by北京共産党)

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11月に入って、良い天気である。

突如、遠方より知人来りて、以下のごとくに言う。

ーーーーー

どうにもこうにも、コロナごっこが終わらない、終わらせない、終わりたくない。

コロナはインフルエンザの微弱な変種とでも考えた方がいい。インフルに比較すれば、日本人には、ほとんど安全な感染症である。

もはや、空気であり、風であり、だからこそ発熱性の風邪に過ぎない。

それを、これほどまでに騒ぐのは、国民全体が集団ヒステリーというしかない。
誘引したのは、無論マスコミである。あるいは中国北京共産党だろうか、それとも、すべてが単なる偶然の産物なのか。

アメリカでは、どうやら中国大好きの民主党バイデンが大統領になる気配だ。
コロナと絡めて、北京の連中、なかなか腕利きではないか。恐るべし、一党独裁北京共産党
日本は、遠からぬ先に、中国の一地方になるだろう。

 

コロナごっこが、本当に、北京の作戦だったのかどうかは、わからない。
しかし、マスコミが、北京に好意を持っていることやアメリカ民主党を応援していることは明らかである。くだくだ述べなくても、あなたも、先よりご存じだろう。

 

マスコミがコロナを利用して延命したこと、そしてこれからも、コロナを旗印に荒稼ぎをしようとしていること、薬品商売人のコロナワクチンのバーゲン予告と、同列である。

 

私は、貴君も知っているように、長年、アメリカの共和党支持者であって、民主党は嫌いである。
民主党は胡散臭い。民主党政権下では必ず戦争が起こる。民主党つまりは、戦争屋である。云々。

 

だんだん物騒な話になってきたので、近ごろの居酒屋はどうだい。


居酒屋は、もとより三密である。

沖縄県議会議員の連中が、視察旅行と称する、飲み会兼小旅行で、仲良く大量にコロナに感染したが、あれなども、大口開けて暴飲暴食、歌って踊れば、感染もするだろう。笑止である。

ついでに言えば、沖縄の地元民は、自分たちを沖縄県民というより、沖縄人だと思っている。日本国民とは思っていない。日本政府から優遇財政を得ようとするときだけは、沖縄県民である。それ以外のときは「うちなん」である。

 

沖縄に行くと、どうも違和感があるのである。
疑問に思う向きは、ホテルから出て、地元の店をはしごするといい。1週間は滞在するといい。
沖縄人が日本国民なのかどうかに、疑問がわくに違いない。

 

ーーーー

以上、酔漢話の骨子は、コロナごっこは、マスコミが終わらせないだろう。沖縄人は、今後も利を得るだろう。北京やハリウッドは、バイデン万歳だろう。

ということで、よろしいか。

 

 

 

 

「てぃんく」メンバーの、不慮の事故とはなんぞや。芸能人の死亡とその理由。マスコミの欺瞞。

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コロナごっこが、いまだに続いているので、うんざりである。

テレビラジオは以前からだが、近ごろは、ネットもあまり見なくなった。鴎外先生の北條霞亭を眺めたり、荷風さんを読んだりしている。

食卓で家人が言うには、春馬、結子に続いて、地方アイドルが没したそうだ。

そりゃいったい誰だというと、「てぃんく」とやらの芸人グループのメンバーで、17歳だそうである。

死因は何だと問うと、不慮の事故という。

はて、怪訝である。

 

世間では、100歳近い老人が死んでも、コロナで入院していた云々と、さもコロナ感染症が原因かのように言うが、なに、寿命だろう。

かくも、コロナが怖い怖いと大騒ぎして、自然死の原因の多くを、コロナウイルスに関連づけようとしている。その一方では、17歳の少女が突然死んだのに、不慮の事故ですませるとは何事か。

大方、自殺だろうが、それを公表したら、何かまずいことでもあるのか?

 

それがあるのである。あると、思い込みたいのである。であるからこそ、マスコミ様は、愚かな国民大衆へは、不慮の事故で済ませておけ、とご考慮なさった、または上様のご指示である。

まことに、マスコミ業者の、国民を侮蔑すること、かくのごとし。

 

17才だろうが11才だろうが、彼ら彼女らは、素人ではなく、玄人である。いっぱしの芸人である。自ら芸を売ってギャラをもらっている身分である。

何の遠慮が、あろうか。自殺なら自殺、他殺なら他殺、それとも、本当に事故なら、事故原因を述べるがいい。それが嫌なら、最初から、すべて伏せておけ。

「グループ公式ツイッターで発表」とか、いったいどういう了見だ。発表するからには、堂々と、死因死亡時刻その他を言うがいい。

 

芸人の自殺、春馬結子等の続きが、出るようで出ないのは、芸人は、そんなに軟ではない。しかし、芸人にもいろいろある、各々の事情がある。不本意ながら自ら死を選ぶ者も、稀にあるだろう。

しかし、それを不慮の事故とやらで隠蔽し、言葉の上だけで穏便を装うのは、卑劣卑怯である。

 

全然話が変わる。ここに例を出すのは突飛すぎるが、チャーチルは英国自慢の戦艦プリンス・オブ・ウェールズが日本の航空少年兵によって撃沈されたことを、包み隠さず国民に伝えた。大人である。チャーチルがではない。チャーチルにそう決断させた英国国民が大人なのである。

 

話を戻す。

近所の小中学生は、相変わらずマスクをして通学している。聞けば、授業中も休憩中もマスクをつけっぱなしだそうだ。マスクの裏は唾液と臭気と微生物で「ぬたぬた」だろう。

 

夕刻の公園で、マスクのままジョギングする輩は、さすがにいないだろうと思ったが、いるいる。うじゃうじゃいる。見ているだけでも、気持ちが悪い。

 

ああそうだ、プールで泳ぐ人はどうだろう。マスクをしてクロールなんて、粋ではあるまいか。

マスクスイマーがいないところを見ると、プールの水面上には、どんなに混雑したプールでも、コロナウイルスは皆無なのだろう。水に溶けたのか?

 

コロナウィルス騒動に端を発して、マスコミ連合軍は国民大衆の扇動扇情誘導洗脳の、いつもの楽しい「お仕事」でニンマリである。その傲慢無礼なこと、憎んでも憎み切れない連中である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学は、学費無料でも高すぎる。むしろ大学が学生に、月々の金をやれ。数学教員、国語教員その他もろもろ。

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「教員」生活を満喫したいのなら、大学教員で、これ以外の選択肢はないと言っていいほどの楽園だが、しかし、教員志望者の多くは、小中高校の教員になる。

教員の質は、国公立学校勤務の教員がよろしく、私立学校のそれは劣ること、何度も話した。私は違うというのなら、それでいい。おめでとう。


教員職は、教科によって、およそ職種が異なるくらいに学力、仕事量、遂行難易度の差がある。しかしながら同一賃金というところが不公平であるが、これが人の世の常である。
教科教員になるなら、ダントツで数学教員がよろしかろう。理由は面倒だから、勝手に考えてくれ。最悪は国語教員で、相応の能力のある人以外は止めておいた方がよい、泣きを見ることになる。教員ではなく、子供たちが損失を被る。

木下是雄は学習院大勤務の頃、文章推敲ができる教員を、他大学から貸せと言ってきたが、そうはいかない、たいへんなコストをかけて育てたのだから云々、と書いていたが、本音だろう。
腐った論文を手直しするには、並の能力では足りない。

話が飛ぶが、ともかく教員たるもの、中学高校生時代に、どんなレベルの学校に通っていたにせよ、学級または学年で最低一度は、成績トップの経験を経ている方がいい。というよりも、絶対的に試験トップの体験が必要であって、そうでもない者が教員をするなんて、図々しいにも、ほどがある。
この経験があれば、ある種の余裕が生まれるので、どんな子供の指導も、穏やかにできるはずだ。

 

一国の首相職、その他政治稼業につく輩は、馬鹿だけはお断りである。無能な者が国の舵取りなどできるわけがない。嘘で固めた毎日を送って、国民に多大の迷惑をかけることになる。現に、これまでも、今も、然りであった。これからも、そうだろう。
閑話休題(あだしごとはさておきつ)、やたらに悲憤嘆くは、けだし賢人のなすところにあらず、とやらなので、賢人でなくとも、日本の政治云々の話題は、飯が不味くなるのみ。ご法度である。

 

大学は休校状態である。ゼミだけやっているところもあるが、あれはセミの鳴き声に似たもので、ゼミナールにあらず。

そのくせ、学生からはどんどん学費を絞り取って、普段でも遊んでいる大学教員に、濡れ手に粟の大判振る舞いを続けている。
大学は今年度は、学費を無料にするのは当然こと、それどころか、たんまりある財源を取り崩して、すべての学生に毎月10万与えてもよいくらいだ。たまには、恩返しすることだ。

ちなみに、大学教員は全然生活に困っていない。今年一年は無給でよろしい。働かなければ、給与がもらえない、という単純な原理が、わかっていない連中なので、少しは体験させるといいだろう。目をキョトンとして、働くってどんなことなの、とアルバイト学生に問うことだろう。

 

 

私立の中学高校への進学は、いかがなものか。教員のレベル、競争力の不足が。

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私立中学高校への受験を考えている人や、特にその保護者には、苦い話をする。


「私立中学高校」(以下私立校と書く)への進学は、考え物である。
もっとも、「国公立の中高」(以下公立校と書く)が大嫌いで、なにがなんでも私立校に行きたい、行かせたい、というのなら、勝手である。


どうせ私立校に入るのなら、超一流と言われている学校に限る。
いったい何が「超一流」なんだかよくわからないだろうから、とりあえずは、当該年度卒業生数に対する東大京大の合格者数の比率が高いところ、ということでいいだろう。
とはいえ、東大京大の進学率の点でも、公立校のほうが優位に立っている。

何度でも言うが、私立校に行かせるのなら、超一流校に限る。
並か並以下でもいいから、ともかく私立校に行かせたい場合は、公立校に受け入れてもらえない特殊の事情のある場合で、それはそれで、見合った私立校が存在はする。


一流校と呼ばれる私立校は、どのくらいあるのだろうか。
簡単に言ってしまえば、各県に一つはある、と仮定したい。
どうしても私立校がいい、だから越県してでも通わせる、または下宿や寮に入れさせる云々、は酷である。そこまでする価値はない(と思う、と言っておく)。
だから上記の進学率が低くても、各県に最低一つは、名目上に過ぎないにしても、一流私立校を認定するしかない。


中途半歩な私立中高が、なぜ無駄なのかを以下に述べる。
しかしながら、世の中には気分というものがある。保護者の思い入れ、思い込み、勘違い、憧憬の類がある。これは、仕方がないので、勝手にしてくれ。


私立校の最大の弱点は教員のレベルにある。
すなわち、私立校教員は、規模の小さな私企業に勤める雇われ人である。しかも、勤め先たるや、経営が不透明で、馘首の恐れや、倒産の恐れもある。したがって、教員自身の気分が安定せず、自己肯定感が薄い。
公立校からの転属組も多い。こういう連中と根っからの私立校しか経験していない教員との軋轢もある。公立校定年退職者の第二の就職先でもある。
ともかく、教員の素性がぐちゃぐちゃで、校舎をどれほどきんぴかにしても、教員のプライドは低い、低すぎる。

というのも、私立校の教壇経験しかない教員は、劣等感がある。
それは私立校の教員採用事情にあるわけだが、この辺りの詳細は避けたい。以下を読んで、想像してくれ。

公立校教員は一応、正規の試験を受け、合格して採用されている。相次ぐ転勤で場数を踏んでいる。公立ゆえに勤務先の倒産不安がないから、人にもよるが、中には教育に全力を傾けることが可能な人もいるだろう。

私学は、私学教員適性検査と称するテストを受けることになってはいるが、その得点によって、当該私立校が採用するかどうかは、私学経営者の判断による。つまり不透明な情実採用が可能である。別名、縁故採用、雰囲気採用と言う。
こんなことができるのは、私企業であるからで、美人学生をどうでも採用してしまう某職種と同様である。


教員のほとんどを、東大京大卒で固めている「一流」私立校もある。この場合、当該校の教員のプライドは保たれている。

とはいえ、教員の余計なプライドなんかはどうでもいいことで、生徒にとっての最大のメリットは、東大が身近に感じられて、アノ教員でも合格したのだから、俺なら軽いな、と思えることにある。その子が、必ず合格するかは未定ではあるが。


教員の問題以外には、私立校の短所は、生徒が同質性があるということである。これは長所のようだが、そうでもない。中途半歩な連中が多く、傑出した才能が見当たらない(ことが多い、と言っておく)。
もっとも、親にしてみれば、似たような生活環境や学習能力の子供が多いということは、ある種の安心感を持てるのだろう。
変わり者は嫌だからね。うちの子は普通に育ってほしいの。


話を変える。
先年、某講演会の後の、立食パーティで、講演者の某女性Aと、某女性教員Bとの会話。
B「いいお話でした。母校の高校でも、お話しされるといいですね。どちらの高校のご出身?」
A「女子学院です」
B「は? 何女子学院?」
A「すみません。ただの女子学院です」

以上で、ピンとくる人向けの話なので、意味不明の人はそれでいい。

というわけにも、いかないだろうから、説明する。
東京では女子学院というだけで、桜陰雙葉と並んで女子御三家と呼ばれる「一流私立校」であることを、大概の人は知っているだろう、という思い込みがある。
しかし、それは関東での話。少し離れると、○○女学院、○▽女子学院などが、多く存在するので、Bの発言となったのだろう。

事程左様に、私立校出身の有名無名のプライドなんて、たかが知れている。むろん、公立校も同じことである。

知友学友や真っ当な恩師を得ることができるのならば、どこでもいいのである。無理をしてまで、欠伸の出る授業を受けるには及ばない。

 

 

 

 

 

考える授業。教育評論家、有識者、テレビ芸人は、コロナで儲けたか。

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知人来たりて、また言う。

テレビ局及びテレビに巣食う芸人ども、ならびに、選挙で職を得たのをいいことにやりたい放題の議員職にある者ども。
彼ら彼女らにとっては、新型コロナウイルスとやらは、神であり仏であり救世主である。

これだけで、わかる人には、電光のごとくわかるだろう。
わからない、またはわかりたくない人にとっては、これ以上百万言費やしても無駄だろう。

 

ぱるるの教育批評」は、扱うテーマが学校教育を主とする。
現場経験豊富な、というか、ほとんどそれしか取り柄のない筆者が、折に触れ思うこと、思い出したことを、ボケ防止に書いているのである。教え子の何人かは見ている。記事の内容に興味関係がある者、その他も見ている。

その中で、私が大嫌いなモノの一つは、教育評論家と称する類で、そもそも教育について話すのは、誰でもできることである。ことさらに教育評論家などと自称するとは、片腹痛い。
それがどうだろう。どうせテレビ芸人の類と笑って済ませてもいいが、世間は、肩書に弱い。事実または事実に近いものと勘違いする。

尾木ママとやらの気持ちの悪いテレビ芸人も、局の方針に従うので都合がいいのだろう、いろいろ口走っているようだが、在野から学校教育についてあれこれ言うのは、素人以下の所業である。まして、テレビで食する者が気の利いた風を言うのは噴飯ものである。
どうせネットその他の情報を、血走った目で探し回って、さも自分の意見のように言う。
いかにも卑しいやり口だが、それがテレビマスコミで生きるということで、だから私は、テレビ業界およびその関係者を、心底憎むのである。


さて、コロナごっこである。
「コロナごっこ」は私の造語である。
新型コロナウイルスをめぐっての政府マスコミその他の対応が、まさに、子供の「ごっこ遊び」であって、内実のない「のようなもの」「かもしれないもの」「そう信じ込ませたいもの」を、さも事実であるかのように大袈裟に扱うことを、総称して「コロナごっこ」と言ったのである。

学校現場では、さすがにコロナごっこなどという言葉は使われていないし、使おうとしないし、許さない。そんな言葉が吐けるほどに、学校教育現場は、自由は保障されていない。残念でした。

 

三密だの社会的距離だの、不要不急、自粛、以後の世界、等々、言葉の乱用で、いったいこれは何のまじないなのだろうか、不気味である。

 

マスクも相変わらず流行だが、このモードは永遠に続くのだろうか。
小津安二郎の映画『東京暮色』の中で、家族を迎えに警察に行く場面で、原節子がどういう理由かマスクをしている。これが大方の男性ファンにはたまらなくエロいと話題になった。機会があれば見るといい。

以前のことだが、マスク嫌いのトランプ大統領が、マスクをつけていないことをマスコミに問われて、「他の部屋では、つけている。マスクをすると、もっと男前に見える」と真顔で答えていたが、それはそうだろう。

一般にマスクをすると、美男美女度が上がる。特に中高生はそうで、某教員に言わせると、廊下でマスク姿ではあるが、びっくりするようなイケメンとすれ違ったので、はてあんな生徒がいたかしらん、と怪訝だったが、なんのことはない、マスクを外してみれば、いつもの悪ガキだったそうな。


どうも暑さで、話があちこちしたが、もう少し書く。ただしすでに言ったような気もするのだが。
新型コロナウイルスという単語を発するときの、テレビ芸人(レポーター、司会者、口パク女に男、解説者=何を「解説」してくださるのだろう、有識者=これまた御大層な肩書である)たちの、嬉しそうな誇らしそうな、態度や顔つきを見よ。物干し竿で、まとめてなぎ倒してやりたい。

何度も言うようだが、コロナごっこは、政治屋にとっては大儲け、責任逃れ、検察追及をかわす手段となった。
マスコミ、特に、テレビは、視聴率が跳ね上がり、空前絶後の利益に、笑いが止まらない。
独占企業集団のNHKのごときは、視聴料は搾取するくせに、番組は過去のゴミテープを垂れ流す。
NHKこそが、まず人員削減をし、せめて令和2年は、視聴料を無料にすべきであろう。


話変わって、いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)は、コロナ騒動で、これまた、ニッコリの集団である。

アマゾンは便利なので、まあよい。
アップル社の製品は丈夫なので、これもよかろう。
グーグルは普通に使用できる。
フェイスブックは危険なゴミである。もともとの出自が、美人学生の品定めのためにネットを利用するカラクリである。何がフェイスブックだ。自分の情報のほとんどを、喜んで外に出すなんて、どうかしている。
物事、特に人物は、一部または大部分を秘するから、花なのである。人となりを知りたければ、直接会うしかない。


ところで、ネットは匿名性が最重要である。
投稿者の情報開示の強制は、独裁政治に陥る危険が極めて高い。
選挙が投票者の記名制となってしまって、現政府の反対者は抹殺されるようになる。
あれもこれも、匿名性が必要であって、普段の消費財のすべてを、デジタルで決済するなんて、どこまで間抜けなんだろう。
スーパーで、スマホをかざして物品購入することが、それほどスマートなことであろうか。後ろで並ぶ他の客のことを考えろ。もたもたしすぎだ。


話を変える。
ほとんどの大学は、どうやら、「オンライン授業」とやらを、最低でも2021年3月まで続ける様子だ。大学の教員は、この1年間、対面授業を1時間もしなくても、基本給はもちろん、各種手当もばっちりゲットしている。もともと趣味と暇とで成り立っていた職種だが、こうなると、存在の軽さが、耐えられないほどになる。
もう、無駄な二流三流大学なんて、片っ端から潰せばいい。
学士修士は、昔で言うところの通信教育、今風ならネット講座で十分だ。
優秀な研究員だけを勤務させて、後はカリキュラムプログラムでよい。
しかし、キャンパスごっこもしたいだろうから、それは社会サークルの出番だろう。老若男女入り乱れて遊ぶがいい。単位はやるぞ。


また変える。
テレビマスコミは教育の敵、国民の敵、亡国の徒である。
テレビに負けない人間になれ、といったところで、家庭も親も、生まれたときからテレビ漬けである。当人の知らないうちに、テレビマスコミに飼いならされている。

もっとも、田中美智太郎先生がおっしゃったように、「時流に飼いならされるのではないかと、自ら不安をもつような弱い精神ならば、むしろ飼いならされた方が、君は幸せにだろう」云々。
ならば、従順可憐が特質とされている日本国民は、全員が、むしろテレビマスコミに騙されて、踊らされて、酔い続けていた方が幸せなのだろう。

今回の武漢コロナ、別名、何が新型なんだか「新型コロナウイルス感染騒動」について、マスコミの弊害は、はっきりと出たのである。
テレビが連日騒ぐと、国民の大部分は事実だと誤認する。

以前から、このブログを見るような奇特な人はご存じだろうが、コロナごっこは最初から怪しさ満載だった。
一体全体、武漢コロナが直接の原因で、人を死に至らしめるほどのものであるかが、一向にはっきりしない。
どうやら風邪の一種なのに、大騒ぎする。やたら、恐怖心をあおる。タレント医者もどきや、宣伝大好き知事その他のパファーマーの、連日の公演は、気味の悪いものだった。

目に見えないウイルスというゾンビ遊びは、商売の停止、学校の停止、人の動きや交流を禁止して、地球全体を覆う大イベントになった。
いやはや、困ったものである。

コロナごっこは、一部に莫大な利益をもたらして、その他大部分に、大きな損失を与えたのである。
狂ってる。本当に狂っている。

3月に日本の多くの学校が閉鎖されたとき、教員たちは戸惑うそぶりを見せながらも、本心では喜んでいた。
4月5月と長い有給休暇が続いて、教員たちは楽ができた。今でも、学校は変則的な再開中だが、やはりどちらかと言えば、去年に比べると、安楽椅子である。


以前話した繰り返しになったようだ。

コロナウイルス騒動で利を得るのはいったい誰だろうかと、考える授業を、一度はしてみるといい。