ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

新型コロナウイルス騒動で、世界イベント大成功。政治屋とマスコミの高笑い。

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今回もまた、教育から少し離れた話題となったのだが。

某人来りて、話すことには。

 

毎日毎時間、マスコミと称する売名企業は「コロナウイルスごっこ」をさも真剣げな声色で、ご苦労なことである。
たかが鼻風邪ごときに、まるで不治の伝染病のごとく大袈裟に報道する。バカバカしくて見てはいられない。

 

政治関係業者も、嬉しくてたまらない。
東京都知事のごときは、保育所の壁に貼ってありそうな諸注意を言うために、したり顔でテレビカメラの前に立つのが、仕事であるらしい。

 

今回のコロナ騒動は、都道府県各知事の自己宣伝、国政担当者の悪事隠蔽場所、公務員の幸福感の増幅、マスコミ業社の高収入、その他諸々のニッコリニンマリを産出した。

コロナごっこは、彼らの利が続く限り、永遠に続くだろう。
ご苦労である。


コロナウイルスで、人が死ぬという。へー、どんな病気なんだろう。
だったら、若い連中で陽性反応者はバタバタ死ぬはずだが、みんな平気の平左、それどころか、自覚もないんですけれど。いえいえ、若い連中ばかりではない、40、50、60、70、80代まで、コロナ陽性ってなんだろう?の世界である。

 

コロナウイルスが原因の、「死亡者数」というが、本当か?
死因は持病の悪化だろう、または老衰である。
それを、さもコロナウイルスが元凶かのように報道する。
嘘くさい。

 

今回のコロナごっこは、まったくもってインチキ極まりない代物である。
陽性確認者をどんどん増やしているが、あのなあ、もうとっくに国内だけで、百万人でも一千万人でも、感染していなければおかしい。
感染していないのなら、微弱すぎるウイルスである。無視でいい。
感染していて、この状況なら、微力すぎるウイルスである。同じく無視していい。

 

コロナごっこは、世界中を巻き込むことに成功した一大イベントである。企画者はとんだ興行師だ。各国は、まんまと集団ヒステリーになった。笑えるではないか。

この分では、これからも、次々と人為的災害災難、特にウイルスごっこが流行るだろう。そして毎回毎回、大騒ぎして、利を特定の連中が集めることだろう。
良かったな、おめでとう。お疲れ様である。

 

 

 

 

 

児童生徒の陽性検査。休校して消毒。コロナウイルスという集団ヒステリー。

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某知人、来りて、嘆いて曰くには、、。


先日、某駅から電車に乗った。沿線には、進学で名を売っている私立の男子校と女子高とがある。
夕方でもあり、学校帰りの子が多く乗っている。ひとり残らず、一様にスマートフォンをのぞき込んでいる。数人で会話している連中も、手にしたスマホ画面を見ながらネットの話題である。

 

どうも困ったものだ。昔は、文庫本を読む、参考書を見る、友達と会話するくらいだったが、今では、だれもがスマホに憑りつかれて、不気味である。

マスクをしている子は、8割くらいか。むしろ、その多さに驚いた。息苦しくないのだろうか。とはいえ、私も同調してマスクである。

 

子供は学校では、教職員の神経質な対応に、無難に合わせているふりをしていても、本心は、コロナなんて、無視である。子供同士で話すときは、マスクをしない。せっかくのイケメンや美少女顔を隠してたまるか、であろう。
というのも、学校ではコロナ風邪なんて、見たことも経験したこともない。周りを見渡しても、コロナ発症者がいない。いったいどんな症状なのかも知らない。
コロナウイルス感染症とやらは、テレビの向こうで、利害関係者が騒いでいるだけである。
コロナって何?  誰も正確に説明することができないだろう。あれは、検査の結果発表にすぎないのではないのか? と、健康真っ盛りの中高生は感じている。


陽性反応が出たら、隔離だの入院だのを建前にしたものだから、行政も医療も、怖くて、意図的に大量の検査しない。するつもりもない。
多数またはほとんどの子供が陽性だったりしたら、どうする気だろう。とりあえず、数日休校にして、校内中を消毒する気だろうか。
陽性だった子供は、みんなからつま弾きされるのだろうか。

お気の毒である。

そんなわけだから、今では、子供も大人も、風邪すら、うっかりかからなくなった。咳をすることを忘れた。
普段から喘息気味の子は大変であるが、なんだ、咳しなくても大丈夫じゃないか。気持ちの問題だったんだなと、当の本人がつぶやいた。

これほど、子供が元気であることは、いまだかつてなかったことである。
なーんだ、やればできるじゃないか。ご健康そうで何よりです。


大事ぶって、政府行政はマスコミ連動で宣伝するが、さっさと、毎日、数万数十万の国民の検査をしたらどうだ。それすらしないで、何が感染症対策だ。お笑いである。

コロナに感染しているくせに、事実を表に出したくない。出せば、医療が崩壊するのだそうだ。

崩壊なんて、するものか。

騒ぎすぎである。陽性反応が出ただけで、大騒ぎし過ぎである。

国民全員が陽性になったら、たぶんなると思うのだが、いったい次にはどういうお話をでっちあげるのだろうか。

武漢ウイルス、新型コロナウイルスとやらを、鼻風邪くらいに思うがいい。

事実は、鼻風邪に過ぎない。陽性者のほとんどは、無症状だという。したがって無自覚であるという。だったら、何が問題なのか。

コロナとともに、コロナを愛して生きるのなら、いい加減に、コロナウイルスを、生活習慣にするがいい。With corona から Love corona である。もはや観念したらどうだろう。

うつる時はうつる。むしろ、ウイルスならば、うつるのが自然である。現に今まではそうだった。たかが武漢コロナウイルスごときで、身もふたもなく慌てて、どうする気だろう。
それこそ、中国北京共産党の思うつぼ、とまでは言わないが、コロナウイルス騒ぎは、中国にとって、損失よりも利益が大きいのである。理由は各々考えてくれ。

 

何度も言うようだが、新宿区でも豊島区でもいい。取りあえず、区内の私立中高等学校の生徒全員をPCR検査してみようか。さあ、その結果はどうだろう。数人ということはないだろう。陽性者が、わんさか出るだろう。
当然のように休校にするのだろうか? 休めば、それで何かが変わるのだろうか?

 

国民全員が陽性になるまで、この騒ぎは収まらない。どころか、次から次へと、文字通り「新型」のウイルスが増産拡散されて、永遠に、騒ぎ続けることになる。

もはや、ウイルスごっこの効果のほどは試された。永遠にマスクを手放さなくなるだろう。
ウイルスに対しての、完全な防御策はない。ならば、無駄な抵抗をやめて、元気に通常の毎日を送ろう。すべてを平生通りに戻してよいのではないか。

ーーーーー

とまあ、大体以上のような話である。
マスクは、人の免疫を弱める。自宅でPCとテレビ漬けの毎日では、体力も落ちて、精神まで病むことだろう。

コロナ騒ぎを続けていけば、現在以上に人類は脆弱になる。生殖能力も衰えて、人口は少なくなる。

人工削減には、今後次々に作りだされる予定の新型ウイルスは、効果があるかもしれないが、それにしても、あまりに迂遠な方法ではなかろうか。

 

そういえば、過日、シニアが多く集まる会合に出たのだが、みなさん、コロナ禍を、たいそう気にしてらっしゃる。新型コロナウイルスに、非常に神経質であり、敏感に大袈裟に対策をしているようだ。

是非は述べない。

 滿汐は沖からではない、気づけば足元から押し寄せている。まだまだ明日があると思うのは、人の常である。これ以上書くと、差し障るから、もう止すが、コロナごっこも、いい加減にしないと、当人たちが集団ヒステリーを自覚しなくなる。

これが、いちばん困ったことである。

 

 

 

 

 

 

高校の国語科教員、試験対策お疲れ様。能力不足で挙動不審。

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現職の教員は、仕事上の能力不足の人が多い。
だからといって、教職に限らず、仕事に必要とされている能力を持った人がどこにいるのか、どんな職業があるのか問われると、答えに窮する。

国政に顕著だが、政治関係で食する人を筆頭に、どのような仕事でも、能力未満の人が大部分である。みなさん自分をごまかし、他人を欺き、どうやらこうやら、アップアップで仕事をしている、または、しているふりをすることが、社会の実情であること、貴兄がすでによくご存じのとおりである。


さて、今日のお題は、高校教員の能力のなさに、哀れさを感じる、というより、呆れるしかない、である。

能力不足の教員が通常なのは、大学の教員である。しかし、大学教員は、仕事というより、趣味で高給を得る、という幸運な特殊な世界の住人だから、ここでは論じない。彼らは、「仕事」量と収入とがまったく反比例する特権階級である。

大学教員のような、極端な例はともかく、小中高校の教員の中で、もっとも「おいしい」のは、高校教員である。
高校教員は、教員として、いかにも教員らしい職業と言えるだろう。
扱う相手は、青春真っただ中の、「ちょうどよい年ごろ」の少年少女であって、話してよし、聞いてよし、かまってよしの、「三良し」で、教員は楽勝の構えである。

であるにもかかわらず、落とし穴があるのは、教科によって、仕事の質量の差が大きいことである。教科ごとに、別の職業と考えてもいいくらいである。工業高校商業高校の楽ちんぶりは、今は触れない。ここでは普通高校を例とする。

国語英語数学などいわゆる主要教科の担当教員は楽ではない。この中では、数学科が圧倒的に楽勝。次が英語科で、国語科は最悪の選択である。
しかしながら、国語が教科の中では最も重要であること、貴兄も賛成だろう。
国語は、思考の根源、民族文化の継承、情報収集伝達の要である。教科教育の基本であるといっていい。
なおも、しかしながら、国語が教科として頭抜けて重要であることと、それを教えることができるかどうかということは、まったくの別物である。

教員ひとり一人の能力の問題だから、言っても詮無きことではある。
しかし、悲しい現実を知っておくことにも、意味があるだろう。


能力不足は、国語教員に限らず、他のすべての教科教員にいえることであるが、しかし、国語以外の教科は、ごまかしがきく。このことは、あなたが、教育の門外漢であったとしても、少し考えればわかるだろう。
それでもわからないのなら、以下を読んでも、失礼ながら、たぶん永遠にわからないだろう。

 

教える行為として、困難で手ごわい国語の教員が、なんともお粗末至極で、結局は、自分の能力不足を自覚せざるを得ず、よって教員としての自信が持てない。
国語は普段話している言葉だから、誰でもが知っていて、ある程度は自由に話し読み書くことができる、と少なくとも当人たちは思う。
こんな教科を教えるに際しての、子供の実力を伸ばし、子供を圧倒していく、資質や学力とは、いったい、どのようなものだろうか。
英語科のような単語知識や、数学科のような問題回答慣れ、などとは、全然違う。

 

国語科教員に求められるのは、読解力文章力膨大な読書量、知識意欲、哲学心理学社会学その他全般の知識、はったり芝居おどけ阿呆尊大カリスマができることなど、そのすべての特質を備えた、人間味あふれた人生経験豊富な人物であることが、要求される。
そんな人間が存在するのか。

いるわけない。
と言いたいが、実はいる。
ごくごくまれに、いる。国語科教員千人にひとり、万人にひとり、存在するかもしれない。ロングテール説である。母体を限りなく大きくすれば、ともかくも、存在はする。
当然、そんな教員に邂逅できる確率は限りなく少ない。


大きな話はここまでとして、通常の高校国語科教員の話に戻す。
案外簡単な話となる。
定期テストで、自分の担当する学級の平均点が、他の学級より、1点でも、高ければ、それで大満足な教員がほとんどである。
というより、そのこと以外に関心がない。
子供の実力を向上させたかどうかではなく、もとよりそんな芸当はできるわけがないし、能力不足がデフォルトなのだから、どうやってごまかしをして毎日を過ごしていくかに、主な関心がある。

定期テストで、採点に手心を加えて、他クラスよりも平均点を上げるかである。
それよりも効果のある簡単な方法は、テストの作成担当になった機会を利用して、テスト内容を、試験日すれすれまで他の教員に教えない、見せない。
他クラスの子供には予習をさせないのである。教員にテスト準備や復習をさせないのである。
その一方、自分の担当クラスの子供には、ほとんどテストの内容そのままを、あらかじめ吹き込んでおく。
試験日前から、担当クラスを格段に有利な状態に持っていく。
これが、一般的な国語科教員であって、事実そのままである。

 

さあ、試験が終わった。採点する最中も、他の教員のクラスの結果が気になって仕方がない。目をきょときょとさせながらディスプレイに成績を打ち込む。あるいはあえて、後から打ち込む。
思惑通り、自分の担当クラスがトップで、他クラスが下の下なら、してやったり、「私はできる教員ですよ」とばかり鼻が高い。
これだけ汚い手を使っても、結果が悪ければ、不機嫌極まりなくなって、ふさぎこむ。周りに当たり散らす。

 

あなたが教員なら、あるあるで微笑むことだろう。高校に限定したが、中学でも同様だろう。


このくらいにしておく。

 

 

新型コロナウイルスは、マスコミと公務員が仕掛けた大博打である。 スマホピコピコさんに、コロナ「危機」を授業できるか。

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知人嘆いて曰く。


だれもが気づいているだろうが、新型コロナウイルス騒動で、いちばん利益を得たのは、マスコミ関係者である。具体的にはテレビラジオ新聞雑誌、ネット業者、それらに駄文を売って稼ぐ連中。
コロナを話題にしさえすれば、金が入る。これほど、うまい商売は、これまで、戦争を除いては、なかった。
だから、今もこれからも、コロナウイルスとやらの「恐怖」の宣伝拡販、植え付けをして、ずっと儲けようとするだろう。

議員および国都道府県その他公務員は、以前も安泰だったが、コロナごっこ以来、ますます安泰となり、組織はより強固となった。なんでもできる。

例えば某首相のケースは、本来ならば、訴追逮捕である。しかし、それもない。コロナを語れば、某知事のように選挙も独り勝ちできる。政策の比較検討もしない。ただ、コロナコロナと煽っていればいい。マスコミと大連結、お仲間で、なーに、ニッコリ手を組んでコロナで大儲けである。

 

かくも、低劣下劣なる連中を、有難くご指導ご鞭撻いただくべく仰ぎ見るのが、私たち国民である。鏡を前に、自分の間抜け面をつくづく見ながら反省するに、まあ、これでいい、この程度がお似合いかな。結局は、誰かに騙されるために存在するのが、私たち国民ひとり一人である。

そのために、マスコミを作り、手段がどうあれ代表制政治体制を作った。某チャーチルも言ったように、「最低だがこれしかないな」。

 

スマートフォンと称する、「思考破壊兵器」を高額にもかかわらず自分から喜んで購入し、四六時中それを眺めて、ぼんやりした頭でゲームをし、動画を眺めている。
思考を鍛える読書なんてしたことがない。ただ、スマホピコピコで生きている。
子供から大人まで、スマホ中毒が完全に普及した。もう大丈夫である。あとは、マスコミ宣伝屋の思うがままである。

その効果検証実験のひとつが、今回の「新型コロナウイルス騒動」である。騒ぐのが、発生源の中国と南北朝鮮と日本だけくらいなら、例によってご苦労なことだと、笑っていることができたが、こともあろうに、今回のコロナごっこは、世界中を巻き込んだ。
冷静なはずのドイツイギリスフランスや、大国アメリカも、大騒ぎになった、または、そのふりをしたのは、意外であった。
志村けん流に言えば、「殿、ご乱心が過ぎますぞ」、である。

 

何度も言うが、コロナウイルスは、風邪の一種で、なんら騒ぐ必要のないものである。人類全員が感染したところで、問題ない。というより、感染するしかない。感染しない理由がないだろう。完全に防ぐ手立てはない。だから、いずれ感染するだろうし、その結果、収束する。

こんな明快な事実を推察できないなんて、想像力の欠如である。

コロナごっこで、毎日大騒ぎするどころか、国民経済にダメージを与えてしまう諸策を実行してしまうなんて、笑い話にもならない。

 

感染するものならば、一刻も早く感染した方がいい。感染を遅らせれば遅らせるほど、マスコミと公務員の利益は拡大する。そのためのコロナ話題の延命ということが、理解できないのだろうか。まあ、理解できないのだろうな。もとより、理解したくない。ずーとこのままコロナで酔いたいのである。他人の指示で、踊らされていたいのである。
それでいい。それこそが、敬愛すべき日本国民であり、それしかないだろう。

だから、今後も、マスコミ関連業者及び政治屋を中心とする公務員のために、せいぜい、新型コロナウイルス話題で、盛り上がってくれ。

 

ーーー
と、以上のような話である。
さて、どうしたものか。
たしかに、私たちは、コロナウイルスに感染してしまうことが、それほど大変なものなのかどうかは、身をもって知らない。政府自治体とマスコミの話題だけである。
コロナの死亡者というが、主要因がコロナで死んだのかどうか不明である。それほど致命的なウイルスとは、誰も信じてはいない。
コロナは、風邪である、または肺炎である。
であるのに、マスコミと政治公務員は、大袈裟に報道宣伝する。

すでに子供に広がっているだろうことは、想像できる。というより、子供の大半が、すでに感染していると推測できる。検査してないから、推測としか言いようがない。
子供でも大人でも、大部分は、無症状というか、平気である。風邪菌を持ったからといって、誰でもが風邪を「ひく」わけではない。ほとんどは、無視である。
だから、コロナウイルス(実際存在するものならば)は、どんなにがんばっても子供には広がらない、と考えることもできる。感染させようがない、拡大しようがない。若い抵抗力が勝ってしまうからである。

事程左様に、コロナウイルス騒動は、不明瞭不明確、怪しさ満載で、これ以上、話題にするのも、バカバカしいのであるが、現実に、毎日の生活を束縛しているので、やはり知らぬ存ぜぬを決め込むこともできないという、困ったテーマである。

 

もともと、ぱるるの教育批評は教育、特に学校教育についてのあれこれを話してきた。そのはずだったが、学校現場も、コロナウイルス感染騒動に巻き込まれ、都合よく利用されてしまっているので、今年は、何度かコロナウイルスの類を書いた。

 

思い出したが、ついでに言えば、ネットの売文業者はコロナで収入が「激増」している。
たとえば、新聞社などのマスコミに勤務し、中途退職後フリーとしてネットに売文する輩が多くいる。この連中は、コロナ話題をばらまいて、笑顔が止まらない。
情報源は極めて怪しい。彼らは、外国新聞デジタル版、個々人のブログ、その他ネット上で情報らしきもの、アイデアらしきものを、血走った目でかき集めて、それらを加工して文章をでっちあげて、売文する。卑しくも、面白い稼業である。

 私は翻訳物のフランスの古い本をよく読む。読むたびに感服する。
彼らの明晰明快さを求める思考は、どこから来たものかと思う。
はっきりしているのは、古人の、例外なく、読書の質量ともに、実に豊富なことだ。

教育は、読書、それも内外の評価の定まった古典のみを、眼光紙背に徹するほど、読ませるしかないのではなかろうか。

当然ながらスマホピコピコ人間では、駄目である。

 

拙文で、古人は言った、と時々書くのは、こういう理由からである。

 

 

 

「ウィズコロナ」から 「ラブコロナ」へ。世界を巻き込む集団ヒステリーと、マスコミの宣伝力。テレビは、一発逆転大勝利。

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本当に情けない。
病毒性の弱い、感染力の弱い、どうってことない、新型コロナウイルス

こんなものを大騒ぎするなんて、テレビマスコミおよび、大切な何事からか国民選挙民の批判的な目をそらしておきたい、政府与党その他税金で食っている者共の、姑息な作戦に決まっている。
コロナウイルスごっこを、まだ真顔で、対策だの、第二第三の波だ、なんて、漫才にも、ほどがある。

新型コロナウイルス騒動で、一番の得をしたのは、政治屋とテレビマスコミと、病院関係者。
少し冷静に考えれば、よくお分かりのことだろう。

 

東京都知事の小池某は、テレビ出のタレントだけに、コロナを大袈裟に最大限に利用した。
都知事選に向けて、コロナ感染確認者を押し上げて、テレビに出ずっぱりである。これは何よりも効果のある選挙宣伝になる。

テレビや新聞はネットに押されて虫の息だったが、コロナ騒動で一挙に再び宣伝の帝王となった。洗脳扇動の主に返り咲いた。
やれやれである。

今回のコロナ実験では、世界中が騙される、または騙されたかのように報道ができることが確認された。

 

時間が進み、時代は変化するというが、なんのことはない。
私たちは、永遠に変わらない。

主人を求めて彷徨う羊さながらで、いつでも、他人に騙されたくて、不安な目でうろうろしているのである。

 

ところで、マスクをして歩いている人は、あれはいったいなんだろう。

マスクはかっこいい。同調する私って素敵よね。


体育の授業で、マスクのまま走らせて、高校生が死亡したけれど、教員の間抜けさ加減がわかる。
近頃では、もちろん、体育の授業はマスクをさせない。熱中症対策だそうだ。
三密を避けるのだそうで、試合をやらせない。二人一組の柔軟体操はもっての他である。距離を取って一人運動をさせて、そしてだらだらと走るだけ。

 

誰も、感染していないのに、または全員感染しているのに、マスクをさせて店内をうろつく。
居酒屋では、形ばかりの手の消毒と、入店するときのみ、マスクをすること。
甚だしきは検温するところもある。お前は主治医か。

店主曰く、どうせこんなこと意味のないことですが、もしものときに、あの店はしてなかった云々と、噂になるのが嫌だとか。
ま、早く燗をしろ。

 

家人は、ゲイツがどうの、人口爆発防止、妊娠予防ワクチン等々と、怪しげなネット情報を言うが、万が一そうだとしても、ずいぶん迂遠な方法だな。

もっと手っ取り早い方法があるが、言うのは止めておく。


世界人口は、この半世紀で2倍になった。この分では、地球は人類の重みで沈みそうである。

私はかねてより、日本の人口は3000万くらいが適切で、狭い国土で1億人を超えるなんて無様なことだと考えている。
人口は、少なければ、少ないほどいい。

各家庭に子供は一人で必要十分である。よほどのことがあって、二人である。
3人も4人も、それ以上も生むなんて、いやはやそれほどのご家庭なんですか?

以上の意見は、不謹慎だと言いたい人がいるだろうが、ちょっと待て。
中国インドアフリカの人口爆発、そして、その他にも、十分に政府が国民の面倒を見ない、見切れない、野蛮なる多くの国家を見よ。
そしてそういう国は、産めよ増やせよ人海戦術をとって、他国を地球を、飲み込もうとする。
こんな状況では、某ビルゲイツも、なんとかしなければと、半ば善意で、あれこれ考えるに違いない。

 

人は生まれてこなければ、そもそも人ではない。人間の尊厳を無視はしない。

過剰に生まれてくるから、または無理やり生まれてくるから、人の尊厳は地に落ちるのである。


さて、話があちこちしたが、ウィズコロナだそうだ。だったら、隣人である。仲よくしたらどうか。つまりは自然にふるまえばいい。あるときは無視をして、気が向けば時々挨拶をすればいいのである。
それとも、四六時中気になる愛人なのか? だったら、ラブコロナと呼ぶがいいだろう。

 

世界人口の推移 https://tokyo.unfpa.org/ja/publications/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%EF%BC%89

 

ぱるるーむ、YouTubeで旧車整備、ネット乞食、都知事選挙活動、関係者による新型コロナ感染数ごっこ。

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東京都は「関係者によると」という例の出だしで、武漢コロナの感染者数が○○人だ何だと、毎日ご苦労な事である。
どうせ現都知事職にある小池某の指示だろう。
数字は何とでも動かせる。
然るべき場所で然るべき検体調査をすれば、恣意的に数値の上下が可能である。マスコミも、お仲間だから、コロナ選挙を一緒に盛り上げ、または盛り下げる気だろう。

一体全体、政治職にある連中は、国民、都民、選挙民を、馬鹿にしきっている。
もっとも、馬鹿にされて、誘導され、檻の中のハムスターよろしく小さな世界でバタバタと働いて、生きて死ぬのが、私たち庶民である。特に日本国民は、世界一、操作されやすい人々である。

嘘だと思うなら、と書きたいところだが、あなたも同感だろうから、縷々述べる必要はないだろう。

 

話を変える。
家人が、「ぱるるーむ」を見たかと問うので、そりゃいったいなんだ?
どうやら島崎某が動画サイトでコントのようなことを始めたようだ。
ぱるるは、当ブログの名でもあるが、理由はすでに以前の記事で書いた。

簡単に言えば、家人が、ぱるるの姉だの、明るいぱるるだの、若い教え子から呼ばれていた。秋葉原のドンキで、買い物ついでに、AKBを何度か見物した。AKBが出だしの頃で、当日でも席が取れたのである。
他にも、郵便貯金通帳に「ぱるる」なんてものがあった、云々。
そんなことから、「ぱるるの教育批評」としたのである。


俗にyoutuber という輩がいるが、あれは物乞いみたいなもので、「ネット乞食」である。
猫なで声で「チャンネル登録お願いします」「高評価を」なんて、どの面下げて吐くのだろう。ちゃんと真っ当な仕事して、食っていくがよかろう。

 

しかし、島崎某を非難しているのではない。むしろ、応援している。

あれは芸人の一員だろう。つまりプロである。芸人なら、投稿動画だろうが何だろうが、すべて商売である。仕事である。出来不出来は別として、芸能商売人が金銭のためにする仕事の一環である。

 

私が唾棄するほど嫌いなのは、素人が、投稿動画で視聴者に媚びて、金銭を得ようとする者どもである。彼ら彼女らは、芸能界という修羅場を知らない。甘え切ったプロ気取りで、小銭を稼ごうとする。これが、私の言うYouTuberである。

 

ところで、少し考えればわかることだが、動画は出したもの勝ちである。あれは見るものでなく自己露出する手段である。

あんなもの、他人の動画を見るには及ばない、自分自身をディスプレイで見て、自己満足に浸ればいいだけのことである。

 

動画を投稿せずに、他人の動画を、ただ見ている人は、暇つぶしに見てやっているのであって、謹んで観させていただいているのではない。面白半分に、乞食を眺めているだけである。

それを何だ、芸人になった気で、登録してくれ、とは、笑わせる。高評価を、なんて噴飯である。評価の対象ですらない。

 

しかし、中には、極めて役立つ動画が多くある。

DIYや車の整備やその他、技術に関わる動画は、ネット乞食の唾棄動画とは、全然別物である。

内容は、無料のオンライン授業みたいなもので、視聴者として、大変重宝している。

当家の車は、たいへん古いので、度々の故障や整備で、その都度、車屋に出すと金がかかりすぎる。さあ、整備士らしき人々の動画の出番である。いくつか見れば、ほとんどの問題は解決する。動画を指南役として、こつこつ作業すればいいだけのことである。これがまた、私にとっては、面白い趣味である。

他にも、庭作り、家具や建物の補修等、動画から教えられることは多すぎる。

なるほど、これなら、教育現場でも、オンライン授業というか、いや、単に動画サイトだけで、十分に授業の効果を上げることができるだろう。その証左である。

 

今年は、コロナごっこの影響で、事務職を中心にテレワークが広がったようだが、ならば、中等高等教育のほとんどは、ネットで可能ではないか。いや十分できる。十分すぎるくらいだ。無能教員の大量解雇もできて、一挙両得である。

 武漢コロナにも、少しは、利点があったようだ。