ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

不気味な、教員の言葉遣い。子供もペットも雑草も、神セブンである。

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近頃の公立学校教員の、児童生徒に対する言葉遣いは、異常である。

授業を参観してみるといい。聞くに堪えない思いがするだろう。

子供に教科書を読ませる。たった三行でも読み終えたら、すかさず教員が、「読んでくれてありがとう」。
子供が挙手したら「ありがとう。がんばって手を挙げてくれたね」。 

中学生が、授業中、突っ伏して、ふて寝をしている。教員は、さっそく駆け寄って、「何々君、ね、がんばろう」だって。
何を御丁寧に頼んでいるのだ。そんなガキは、椅子を蹴飛ばしてやれ。

生徒が、あくびをしたら、「あと少しで休憩時間だよ、がんばろうよ」だって。

児童生徒は、いったい何様なんだ。相手は神か、それとも痴呆なのか、放たれた猛獣か?

まるで、授業にお付き合いくださって、感謝いたしております、の世界である。子供への言葉遣いが、場違いの丁寧過ぎで、気持ちが悪い。

これでは、子供がつけあがる。ついでに、子供の背後にいる親も、つけあがる。
分際を知れ、分際を。

世間も悪い。多くの人にとっての世間とは、マスコミである。つまりはテレビラジオの類である。
「何々してくれた、何々してあげる」とペットの犬や、庭の雑草にまで、こんな言い方をする(NHKの趣味の園芸、とやらに多い)。雑草をぬいてあげる。犬に食事を作ってあげる。
子供が、宿題をしてくれた。おはようと言ってくれた。
雑草が今年は少ないままでいてくれた。
犬が朝食を食べてくれた。糞を家の前ではなく、隣の門前でしてくれた。

教育には、ある程度の権威が必要だ。
師も弟子も、教員も児童生徒も、同じ様な扱いでは、駄目である。子供の健全な成長を阻害することになるだろう。

それにしても、傲慢でわがままで不安定で、実りのない自負心ばかりが、蔓延している。
地域によって、学校によって、少しは違いがあるが、何かと、子供がしばしば泣く。
泣く子は、甘えん坊で、ずるい子供が多い。
泣けば、要求が通ると思っている。
二三歳の子供ではあるまいし、小学校高学年ともなると、人前で簡単に泣くんじゃない。
泣けば、すべてがうまくいくのか。

然り。うまくいくのである。要求は通るし、その場の雰囲気を一挙に自分中心に持って行けるのである。
子供が、この手を使わないわけがない。
あなたが教員だか、親だかは知らないが、「すぐに泣く子にご用心」とだけは言っておきたい。

教員も、泣く子に弱い。目の前で泣かれると、教師の精神的暴力とか噂を立てられて、訴訟にでもなったら、一巻の終わりである。

児童生徒が泣きだすと、必死でなだめる。傍から見ても、気味が悪い。猫なで声で、御機嫌とって、あれではまるで歌舞伎町の性風俗業勧誘の兄さんである。

どうせ、泣くくらいの子である、思う様泣かせてやるがいい。と、言いたいが、なかなかに難しいのである。