ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

授業は、一種の技術でもある。成長する教員、停滞する教員。ぱるるの授業批評11

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授業批評11

 

子供の発言が活発で、全体的に生き生きしていることは良。

指導者は、いつも静かに答えるようにする。大声を出さない。

 

漢字の学習では、できた子供から前に持ってこさせたほうがいい。チェックのために、子供に手を挙げさせると、数人同時に手を挙げた場合、前の子供が終わるまで、次の子供は手を挙げたままで、腕が疲れるし、待ちくたびれる。残りの課題に進めずに、時間の無駄でもある。

チェックのために、指導者が、子供の机に出向くと、教室全体に注意が向かない可能性も出てくる。あちらの次はこちらと、指導者が振り回される。むしろ子供を来させたほうがいい。

 

机間巡視のときに、質問する子供がいた。それをどう扱うか?

その質問を、全体に広げたほうがいいときは、子供個人に回答せずに、全員で共有すること。そのやり方は、いろいろあるが、本授業では、あの展開になってしまったのは、授業構成に原因がある。

 

空書きをさせるときは、全員にさせること。していない子供が4人いた。見逃してはならない。

 

ノートするときの姿勢が悪い子供が3名。注意すること。

 

指導者の説明中に、いくつか私語があった。望ましくはないが、ある程度の許容も必要なので、どこまで許すかが難しい。

説明や指示を聞くとき、作業するとき、発言するとき、などの切り替えを、子供が自然にできるようになるまで指導しておくこと。

 

指導者が、適切な言葉で注意せずに、声の大きさで威圧するという方法。最低だ。決して、やってはならない。

子供を自分に集中させようとしたら、むしろ小声にする、ゆっくり話す。

 

すでに習ったかどうか、という点に、拘泥する子供が多い。

習っていなければ今習えばいいだけのことだ。一部の子供を、お調子に乗らせないこと。

 

全体的にテンポは良いが、少しせわしない感じもする。授業進行がいらいらと先走りすると、落ち着いて考えることの訓練にならない。目先の作業を終わらせることの連続となりがちだ。実質がないにも関わらず、何かを学んだような気持ちだけで、満足してしまうかもしれない。

 

一般的に、学級の人数が少ない場合、指導者が(子供も)、少なさに甘えてしまう。

 

指導者、「漢字の変身ですよ」。 漢字は変わらない。あの例では、送り仮名が変わるだけだ。発間の明確化を、常に心すること。

 

「泳ぐ」の語尾変化の指導は盛り上がった。あの調子だ。

「泳ぐ」の前に、歌う走る動く等で、変化形を、一度、おさえておく方法もある。

 

指導者は、黒板前での動きを少なくすること。落ち着け。

 

子供のお茶らけ(「大入」と発言した子供)には、あえて指摘して、内面に訴える。子供の受け狙いの「意図的な」ものは、望ましくない。やんわりと、しかし、当の子供には、ずしりと、わからせることだ。

 

形容詞・形容動詞の活用に関しては、説明が必要。やらせてみて、子供が理解できないのを見て、途中で追加の説明をしないほうがいい。似たような例であらかじめ練習させて、作業に入らせるほうがいい。

 

おくり仮名の変化で状況が変わる。それを理解させるのであれば、発展的に(定着させるために)多くの問題に当たらせることが必要だった。

 

言葉の学習は、学習内容が明確化しやすく、ゲーム化がしやすいので、子供が興味をもって取り組むことができる。いわば、楽勝の授業だ。

それだけに、一定以上の効果をあげて当然な授業だ。安心せず、いっそうの工夫をしていこうこと。