文中の指導者とは、授業を進める人、つまり授業をしている教員のことである。
授業批評9
子供が、指導者の指示をすぐに理解し、行動に移すことができた。指示が明確である。
引き算の筆算。 学習姿勢を確認したのはいい。グループごとの確認は、時間をとるものだが、このくらいなら許容と思う。
しかし、これを毎時間するようでは普段の指導が疑われる。指導者が、研究授業では、参観者への啓発という意味もあるという考えを持っているのなら別である。
繰り下がりなどの提示が、わかりやすくできた。その都度、子供とともに確認したのもいい。どうしても押さえるべきところは、くどくなってもいい。ただしその「くどさ」が、子供に不快を与えるようではだめだ。内容の確認が、他の児童にもプラスになると判断できる時だけ可とする。
指導者の指示が、穏やかにできていた。それが結局、子供の情緒の安定に寄与するので良。いらいらと大声で怒鳴るなどは、論外。
指導者の説明の場面が多すぎたし、一回ごとの時間も長い。
計算のやり方は、繰り返さなくても、次の計算に進ませるのがよい。実際にやらせるのが一番。ほとんどそれ以外にはないといってもよいくらいだ。
理解の遅い2名の子供のために、全体を待たせた。これも一つの方法だが、ほとんどの子供が暇になる。たしかに、指導者のポーズとしては、遅れがちな子供にも十分目を向けています、ということだろうが、そもそもあの2名は、授業に集中していない。待ってやるよりも、他の手を考えた方がいい。
あの場面では、解決を全員でする方法もあるが、学年的に難しい場合もあるので、状況による。今日の授業を見る限り、当学級では1~2回の練習で、可能だろう、やってみるといい。
定着のために多くの問題をやらせる。3の場面では、ドリルの○番に進ませてもよい。
指導者「理由も言えたね、すごいすごい」
ほめるのは、いいことだが、大げさすぎたり連発しすぎると、軽くなる。子供自身も、馬鹿にされたようで嫌になる。
段階的に子供の作業の時間を増やすこと。3までは、指導者とともに、4からは子供一人で。5と6が、できた段階で、次の問題をやらせてもいい。その場合はノートにきちんと書かせて、指導者のところまで持ってこさせる。机間巡視のついで、ではだめ。
子供は問題ができて、前に行くという行為を好むものだ。
5は、隣同士が答え合わせが終わつているはずなので、それを板書で、確認する意味があるのか? 全然ないとまでは言わないが、場合によりけりだ。理解が進んでいるときは、現実の計算問題に多く当たらせたほうがいい。
計算をひとつの流れで教えていたのは良。後は、多くの問題を与えて、計算力の充実をはかること。もっと高めても、大丈夫だ。
総じて、子供に確実に力がついている、という感じの授業である。