ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

残酷なくせに、すぐに傷つく傲慢中学生。飼い犬の教員はキャンと鳴く。

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子供が、粗末(我が儘、粗暴、弱虫)になって、学校での指導が難しい。この流れは以前からあったのだが、平成になっても、変わらなかった。ますますひどくなった。

教員が厳しい指導・叱責でもしようものなら、子供はすぐに「心が傷ついた」なんて言い出す。その程度で傷つくのなら、いくらでも傷つくがいい。

子供はナイーブというよりは、傲慢なのである。

小学校では、教員の命令で、低学年から児童同士の表向きの言葉に、神経質になることを強要される。二重人格を強いられる。
その結果、中学生になると爆発して、言いたい放題、やりたい放題となる。
小学校での、あの建前優先の「子どもの心は純真無垢で、天使で」といった、押しつけがましい指導が祟ったのである。

子供は残酷なものである。競争が好きである。勝ち負けが好きである。優越感を持ちたくて、自己顕示欲の固まりである。また、差違を差違と認めて、他人に対しては容赦しない。

残酷こそが、子供のありのままの姿なのに、「人権」「みんなで」「個性」「おもいやり」「仲良し」といった建前だけの、社会主義風の団体思想が、小学校教育の根本にある。
もっと自由な競争をさせるがいい。勝ち負けをはっきりさせて、納得させるがいい。
そうすれば、長じても、もう少しは、人間味が出てくるだろう。

ところで、小中学校ともに、個性の強い教員が少なくなった。
親は、不思議なことに、教員を「飼い犬」だと考える。

飼い犬を散歩させている人をよく見かける。
私たちは、なぜ犬を飼うのか。
それは、自分より目下の何者かを引き連れて威張りたいからである、と古人は言った。

犬である教員は、親が「しっし」といえば、「わん」とひと声ないて尻尾をふらなければならない。
親がわき腹をけったら、「キャン」とないて、びくびくと恐れ入らなければならない。

それに逆らえば、どうなるか。
「子供の心を傷つけた」だの、「指導法に問題あり」だの、「親の要望を無視する」だの、あることないこと叫んで、その教員をずたずたにする。
これしきのことで、ずたずたになるのかといえば、それがなるのである。
親には、「教育委員会」がついている。議員がついている。マスコミがついている。
一方、教員側には、何もついてない。生徒が背中にこっそり貼った紙切れ(バーカ)くらいである。

かつては、組合が教員を守ろうとしたが、今は猫のようにおとなしくなっている。

中学の授業は、荒れに荒れている。授業に不真面目で、他の子供の勉強の邪魔ばかりする子供が、わんさかいる。
そんな子供に向かって、「馬鹿やろう、出て行け」と怒鳴りたいところだが、それができない。そんなことを言うと、待ってました、とばかりに、教育事務所の職員が駆け込んできて、その教員をやっつける。親子にとっては、なんとも頼もしい。
教員は、危険を冒してまで、できない坊主を、真剣に叱るだろうか。指導するだろうか。

するわけがない。彼ら彼女らにも生活がある。

中学校が沈滞する原因の一つは、世間が教員を大切にせず、馬鹿にしている風潮にある。