ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

コロナ騒動で学内閉鎖。映画は、脚本が8割。残り2割は芸達者な美女美男。

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暇人曰く。

コロナ騒動で近所の大学が閉鎖されて、図書館が使えない。
読書しようにも、本がない、場所がない。とまでは言わないが、大概の本は、大学図書館で見つけることができるから、そこから引っ張り出して読むことが多い。

それができないと、読む手立てがない。

蔵書を何度も処分したので、自宅には、鴎外荷風田中美智太郎の他は、二三の洋物があるくらいで、他には何もない。
だから、ボーとした無為の毎日の中で、たまに興味をひく事々があると、アマゾンで書籍名を調べた後は、図書館の出番だったのである。

もとより、本を買う金はない。第一、本は、買う前に読むのが筋である。買う価値のある本は千にひとつ、万に一つぐらいのものだから、気軽に購入してはいけない。
書店はそもそも、月刊雑誌を一瞥する場所である。または、台に平積みされた「ごみ」を眺める場所である。


読書の時間が急激に減って、ネットで映画を見ることが多くなった。
小津や黒澤は目に焼き付いているから、今更である。キューブリックフェリーニも、DVDを持っている。見飽きた。

 

ネットで、新旧の映画を楽しむには、Netflixアマゾンプライムビデオとである。この二つを利用すれば、ほぼ完結する。

映画は玉石混交どころか、ほとんどは時間泥棒の類である。感動させろとは言わないが、少なくとも、面白いといった感情を得させることが必要だ。
かつて、黒澤明が、映画は脚本だ、と話したように、「お話」が超絶に面白くなければ、そもそも映画にはならない。
次には、役者が内容に見合った外見であり、芝居が上手いこと。
画面に、なんらかの美的感情を喚起するものが映っていれば、時間を費やして見た甲斐も、あろうというものである。
役者のくせに勝手に太ってはいけない。あまりに古い芸人も出すな。

銀座のクラブに一年ぶりに行って、去年と同じホステスがいるのは、客に失礼である、というほどのことを何処かで読んだ。そこまでとは思わないが、新作映画には、美女美男の新人が、わんさか出るようでないと面白くない。

何事にも旬がある。昨夜の刺身は今朝は食えない。

映画の役者は、なにがしかの美を、持っていなければならないという説である。