ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員の離婚はよせ。離婚や再婚は癖になる。離婚経験者は信用できない。

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教員の離婚はよすがいい。離婚が癖になる。離婚経験者を信用してはいけない。

なんていうと、離婚経験者から、憎まれそうだ。赤の他人が何を言うか、であろう。人皆いろいろ事情がある。だからこそ、離婚したのだろうし、再婚したり、しなかったりするのだろう。

離婚は増えつつある。結婚は減りつつある。いったい、人間も、クラゲのように、無性生殖するようになるのだろうか。現に、世の流れは、ジェンダー論の流行とともに、Xジェンダーが主役となるような気がするのである。

人口を減らしたいのは、地球全体を統治する立場からは、明らかだろう。国家レベルでは、他国が敵だから、自国民が増えて、他国民が減れば万々歳である。
しかし、どう考えても、人口が増えることによる利点は何もない。あるように見せかけるのは、そう芝居する方が利益があるからで、保健衛生その他科学技術の進歩とともに、人口が減った方がいいに決まっている。
興味のある向きは、1500年から現在までの人口統計を見るといい。
人口が増えて良かったことなんて、何もない。


さて、教員の離婚である。
離婚が流行っていると、知人から聞いた。あれは流行りものなのか、だったら廃れるときも来るだろう。

教員は、他の職種に比べて、離婚が比較的少ないのではないかと、思っていたが、どうもそうでもない。

男性教員が、教育実習に来た女子学生または、非常勤や臨時の未婚女性教員に手を出すケースが割と多い。
その挙句、糟糠の女房を放り出して、若いのと再婚する。若いその子は、翌年、正規の教員になったりする。大概、妊娠しているから、すぐに産休に突入する。

既婚の教員は浮気をするだろうか。
女性教員は仕事が忙しくて、浮気ができないし、しない。教室の男子達が、女性教員の彼氏代行のみたいなものだから、浮気の必要性を感じない。人にもよるが、 若い女性教員は、男子生徒のマドンナである。
女性教員が、若い男性教員に手を出すこともあり得ない。男性教員は、男性というだけで、AKBもどきの女子生徒からモテモテだから、年増の女性教員を最初から相手にしないのである。
既婚の男女教員が、幸せな理由がお分かりだろう。それでも浮気をする教員がいることにはいるが、人それぞれと言うしかない。


話は変わるが、教員に限らず、離婚はしない方がいい。よほどの理由がない限り、決して離婚をしてはならないのである。

結婚は縁であるから、一度夫婦になったのなら、天国の彼方か、地獄の底までかは知らないが、ともかく道連れである。覚悟して歩くしかないのである。
離婚をすると、癖になる。離婚を一度したなら、二度三度も可能である。何十回でも離婚は可能である。
それが一回や二回の場合がほとんどなのは、
金が続かないのである。元気がなくなるからである。年寄りになるからである。限りある命が尽きるからである。
考えてもみるがいい。もしも、200歳くらいまで二十代の外見体力美貌が続くなら、離婚再婚を繰り返すことになる。それは悪である、醜である、狂であり、怯である。

だから、限りある命であろうとなかろうと、人は、結婚は一度きりでいいのである。離婚は許さるべきことではない。離婚をするような輩は信用できない。

とはいえ、人は性懲りもなく離婚するだろうし、再婚して、幸せだと思いたいのだろう。人は自分のしたことを、なんとか自身で肯定し認めたいものである。
しかし離婚はいけない。特に、教員の離婚はあってはならないことである。このことが理解できない向きは、襟を正して、教え子に聞くといいだろう。

しかしながら、なおも、世界中で、離婚はますます増えるだろう。
これは縁というものを軽く考える風潮が蔓延したからである。
もちろん、男女差、夫婦、家庭というものが、どんどん変化して、融合し、わけのわからないゲル状のような世界になれば、結婚離婚の繰り返しが、常態となるかもしれないし、夫婦や家庭や地域国家という概念自体が消失するかもしれない。
近年、大流行のジェンダー論は、ある種の融合を促進する力となるだろう。吉と出るか凶と出るか、いずれわかる時が来るだろう。

ついでに言えば、日本でも、離婚経験者が首相職に就いたりしたことがあるが、感心しない。離婚経験のある人物は信用できない、してはいけない。

そんなことはない、結婚は相手との相性だ、離婚して幸いだった、または今の再婚相手が最高だ、と主張する人もいることだろう。
ならば、言おう。君にとって、まだまだ、最適な選択があるはずだ。そのために、月ごとにまたは週ごとに、夫または妻を取り換えるようにしたら如何。