ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

女教師の憂鬱。JKとイケメン、独身有利の職業。

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教育は、前提として、子供が必要だ。子供、教員、学校の順である。

結婚が珍しいものになって、子供が希少なものになれば、やがては、学校は減少し消滅する。極端な話ではあるが、制度としての教育は、縮小するだろうし、そうあるべきだ。
なくなるのではなく、融合である。学校は生活に溶け込んで、個々人の学習が、自学自習こそが、大筋となるはずであるし、そうであってほしい。

教員は、独身者が多い。特に女性教員に多い。

なぜなら、経済的に恵まれているからで、当然ながら男女同一賃金が徹底しているし、へとへとの肉体労働でもない。

異性への興味なんて、教室に入れば吹っ飛ぶ。この意味は、例えば高校大学の教員ならば、ピンとくるだろう。
男が、銀座のクラブに夜毎に出入りすれば、銀座の女が世間の女であると勘違いするように、教室で、美少女美男子を見続けていると、世間の同世代の男女に、興味が向かなくなる。

女子校の男先生は、独身が多い。それはそうで、どんなブ男教員でも、JKからすれば、男ではある。もてないわけがない。バレンタインチョコなんて、食べきれない。
女性への目が肥えてくるから、自分の配偶者を見つけようにも、相手にアイドル並みの容姿を求めてしまう。男先生の自宅には鏡がないのである。

女先生も同じように、教室に入れば、イケメンなんて腐るほどいる。夫を選ぶにあたっては、よほどの美男子でかつ高収入でなければ、男ですらない。

以上のような馬鹿なことを、彼らが本気で考えているのは、自分たちが、まあ、ぎりぎり若いからである。しかし、年齢とともに現実に向き合わざるを得なくなる。

しかし、意外にも、男女とも、ある年齢の限度を過ぎると、自分が見えにくくなる。というより、見たくない。それでも、気分だけは、若いものだから、理想に適合する配偶者がいない。生涯独身まっしぐらとなる。

かように、人は見た目が大事で、見た目こそが、すべてである、と米国の社会学者が言った。事実をいまさら指摘して、どうなるものでもないが、職業学問はそんなものである。

見た目が大事とはいえ、教員の容姿容貌に、平均以上のものが求められているわけでは決してないから、安心しろ。


教員は、楽しくやりがいがあり、自己実現ができる仕事である。給与も安定しているし、旅行や趣味の時間も十分にあるし、そこそこの配偶者に恵まれる率が、心がけ次第で、かなり高い。

教員は良いことづくめである。と、普通には言える。

では、普通でない場合はどんな場合だといえば、それは、「ぱるるの教育批評」のそこかしこに書いてある。読んでくれ。

だから、微妙な仕事であるが、百人の教員がいれば、99人までは、十分に恵まれた職業だ。特に女性にとっては、ダントツに有利でおいしい選択である。
理由は皆さんご存知だろう。わからなければ、女性教員を探して、直に問うてくれ。
身近に女性教員がいなければ、他の職業についている女性に聞いてくれ。

女性の仕事で、子供に人気の高いのは、医師、議員、大学教員であろうか。
高額の所得で、自己陶酔感を満足できる仕事として、タレントという手もあるが、容姿容貌の改造や性的逸脱の覚悟等が必要だし、第一に、芸人は堅気の仕事ではない。「それ者」であり、河原者である。
美貌と野心とを併せ持ち、なおかつ、芸人になる覚悟があるのなら、それもいいだろうが、運にも左右される。極めて特殊な「お仕事」である。

受験ゲームが得意なら、医者になるのが吉である。それほどでもなければ、教員がよい。
かつて高評価だったらしい航空機乗務員は、どちらかといえば、芸人に近いが、自分大好き人間にとって、安定の職業である(今は知らない)。
議員は、もっとも下品な芸人ではあるが、野心を満足できる確率が高く、死ぬまで自己陶酔できる。遊んで儲かる仕事の筆頭である。

医者なり、教員なりの、安定した収入を得る男に嫁いで、議員を目指す作戦もない話ではない。