ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

「IT"それ"が見えたら、終わり」はchumshipの話。子供は自分の死に恐怖して、諦めて、そして大人になる。

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2017年版、映画『IT/イット』は、それなりにヒットしたらしく、年明けの2018年1月も、全国諸所で公開されている。
相変わらずのキング節で、楽しむことができた。

この映画には、兄弟殺し、尊属殺、母親の息子への固着、近親姦、中学生の過度のイジメ、サリヴァンのchumship、イニシエーションの動物殺し、等々なかなか興味深いテーマが散見される。
R-15指定らしいが、これこそ、全国の中学生が見るべき映画である。
弾切れの銃の発射、空中に浮かぶ死体、風船他のサインで、この話が寓話であることは明らかで、こんなものを見て勘違いする小中学生など、今時いない。

「IT"それ"が見えたら、終わり」というのは、いかにも不味い邦題だ。「それ」とは、人間が避けることのできない「死」のことである。不可避の死を感じ、恐怖を抱くのは、幼少の子供によくあることで、自分がいつか死ぬという事実に愕然として、夜毎に泣き叫ぶ子供は多い。
死を感じ、その事実に対して、やがて得心または忘却して、生きなければならないことを、子供は知るのである。それがITのテーマで、キング作品のほとんどは、この主題の変奏である。


SF映画の『スター・ウォーズ 最後のジュダイ』の類は、日本では、常に大ヒットする。大人も結局は子供である、ということだろう。特に感想はない。

ついでに言えば、NHK紅白歌合戦という代物は、好悪吐く歌合戦だという知人がいたが、私は見たことがないので、知らない。
youtube で見るにも及ばないだろう。今時「歌合戦」は、友人らが集ってカラオケ部屋でするものである。有象無象の芸人もどきの下手な口パクを、テレビで放映するなんて、視聴者に対する侮蔑以外のなにものでもない。

 

ところで、
人文系社会学系列の授業またはゼミと称する雑談のようなものでも、本人たちは、学問だと信じて、ご満悦である。
一体全体、社会学なんてものは、まっとうな学問であるのかどうか。
社会学は構造が、明らかではない。それが利点であり、価値だそうである。
体系化された知識を学問という。ならば、社会学は、学問もどきに過ぎない。しかし、それこそが、社会学の存在価値だというのである。
好き勝手なことを、学問の薄衣をかぶって言いたい放題できる。

クリントイーストウッドの映画で、若手警察官が、大学で社会学を専攻した、と言うと、主人公の刑事が「お前、出世コースだな」と、揶揄するシーンがある。
当時は、社会学が米国や独仏で流行った。例によって、すぐに日本でも大流行して、アパシーだのアノミーだの、大衆、不安、疎外という言葉が、レポートを埋め尽くした。
今でも、社会学は、人々の不安や願望に付け込んで、新しい話題が転がっていないだろうかと、キョロキョロしている。

続いてやってきたのが、心理学である。心理学は、一神教の重苦しさから逃れるためにある。
多神教で、地域的人種的連帯感のある日本人には、そもそも、心理学の価値は薄い。
にもかかわらず、商売上の利益から、これもまた流行った。今でも流行っている。ますます流行るだろう。

こんなことを言うのは他でもない。
教育現場に、社会学や心理学の、ああでもないこうでもない、という話題が提供されるが、実際のところ、時間の無駄で、なんら教育の営みに、よい影響を与えていないのである。

スクールカウンセラーがやってきて、なぜそれほどの効果がないか。理由は、すぐにピンとくる人がいるだろう。怪訝に思う人には、説明しても無駄かもしれない。