どうやら、4月から、以前、予想したように、学校が始まる。
一体全体、風邪ごときでいつまでも休校にして、いいわけがない。
すべての活動が閉じても、予定の期間が過ぎたら、学校は開かなければならない。
ありていに言えば、子供が親が、退屈なのだ、大変なのだ、我慢の限界である。
教員は無論、授業をしたがっている(大学教員は除く)。
教員とはそういう仕事で、物事を自分以外の誰かに教えたがるのが、習性である(大学教員を除く)。
何度でも繰り返すようだが、人は死ぬ。老衰でも事故でも遊びでも、死ぬ。
風邪で死ぬ者も当然いる。だからどうした。
コロナウイルスによる新型肺炎で死ぬこともあるだろう。ウイルスだから、感染しやすいだろう。だからどうした。
特効薬でも、あるのか。
ないなら、感染を覚悟せよ。簡単には死にはしない。中には、もちろん死に至ることがある。これも運である。体力である。人それぞれである。
アメリカは、ウイルス感染の潜在的な拡大期に、大勢の人が一時に特定の場所に集まって、あちらこちらで、大統領選挙活動の大集会を開きに開いた。集団感染しないほうがおかしい。
今頃になって大さわぎする素振りは、止めたがいい。大国の名に傷がつくぞ。
たかが風邪である。季節が季節である。寒かったり暑かったり風が吹いたりもする。体調も壊しやすい。たまには、咳もするだろう、熱も出るだろう。いちいち騒ぐんじゃない。
短文だが、4月からの学校再開という吉報を、とりあえず、喜び合いたい。