ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

授業を妨害する子供には、同級生の親の叱責が効く。自信のない教員の指導と、日本人の気概。

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校舎の外観だけを見ると、どの学校でも平穏無事に授業が行われていると、錯覚する。
フランスの某小説に、幸福な人は一様に幸福だが、不幸な人々は、皆それぞれに不幸である、とかあったと記憶するが、その通り。
ほとんどのすべての学校は、それぞれに不幸なのである。

学級内で、授業を妨害する子供がいる。
授業を妨害する子供は、ほんの一部である。しかし、その悪質な数パーセントの者が、学級の雰囲気を決めてしまう。

どんな教室でも、効率的な教育活動が行われていないのならば、その責任は教員にある。
しかし、教員の責任を指摘すれば、問題が解決するわけではない。

当該児童生徒は、他の多くの子供の学習権を踏みにじり、学校生活の安寧安全を侵害している。
しかし、犯罪的な行動をとっても、その子供や親に対して、教員や行政は、無力である。公教育は、住民サービスの一環であるとされているから、住民の反感を買うような発言や行動は慎まねばならない。関係者は極めて神経過敏になっている。

特定児童生徒への個人的指導は、一歩間違うと、面倒を抱えることになる。できるだけそっとしておく、という状況になりがちだ。

こんな事情を、問題の子供も、その親も先刻ご承知であるから、ますます増長して、やりたい放題である。教員が注意をしようものなら唾を吐きかけ、馬鹿にする。胸ぐらつかんで引きずり回す。これが中学生、小学生、あるいは学力底辺高校の現実だ。    
簡単明快ではあるけれども、ほとんど実行不可能な解決策は、問題行動をとる子供に対して、同級生の親が、注意や叱責をすることである。
実際のところ、何か言えるのは、同じ学級の同級生の親しかいない。教員抜きで直接に、当該生徒と親に対して、圧力を加えると、状況は変化する。
地域の教育力とは、何も、語学ボランティアや趣味を生かしたお手伝いばかりではない。我が子のために、他人の子の悪を見て見ぬふりをしないことが必要だろう。憎まれ役を買って出る気持ちがあるかどうか。

とはいえ、教員は職責がある。給料分の仕事をしなければならないはずだ。
学習態度が滅茶苦茶な児童生徒に対して、教員は、どうすればいいのだろう。

唐突だが、知性的な授業をすることである。
知性的な授業ならば、子供もそれなりに伸びる。
中学や高校では、学級担任の影響が学級の生徒全体に及びにくい。A教員の授業ではまともでも、B教員の時はそうではない、ということがよくある。生徒が相手を選んで態度を変えるのである。
だが、どんな教員であろうとも、知性を高める指導ができるのなら、授業は落ち着くのである。

なぜそうなるのか、と問われても困る。どんな子供にも生まれつきの知的欲求がある、と答えるしかない。

繰り返す。
多くの中学校の授業は荒れている。小学校や高校でも、同様の傾向にある。
原因の一部または大部分は、教員にある。授業が知性的ではないのだ。

知性的な授業がなぜできないのだろう。
一応は難関とされている採用試験をパスして、ようやく現場に就職できた、いわば「力ある」教員人たちではなかったろうか。

当該教員の問題は、次の点にある。
1 担当教科の全般的見通しがない。
2 学問への迫力がない。
3 日本文化への自信と誇りがない、というより興味がない。そのため、先祖への畏敬の念がなく、命の継続感が薄い。子供に対して、日本人の大人として、自信を持って処することができない。つまりは教育哲学がない

3は大切だ。社会主義に憧憬を持つ左翼団体の活動教員などは、もっての他である。同和教育も、ほとんどの利権が消失した今は、勢いがない。
私立の、かろうじて規律らしきものが残っている学校は、月謝や退学の脅しもあるが、キリスト教等の宗教的バックボーンがじわりと効いているのである。

私たちは日本人である。日本人教員が、日本の伝統文化の持続と拡大への意欲と気概とを待たなければ、教育活動に迫力が出るわけがない。

 

 

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