ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

肝っ玉先生に、ご注意。男先生、女先生のそれぞれの魅力がある、たぶん。

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教員も年配になると、それなりの貫禄がついてくる。

新卒で先生と呼ばれて、年上の親から刺すような目で授業参観されたのが、今は昔。
保護者は自分より年下になった。長年の経験上、子供の扱いが上手になった、多少の知識も増えた、とあらぬ自信を持つようになる。

これが、大きな落とし穴だ。
一般に、年配で口の達者な女性の学級担任の場合、一見すると学級運営がうまくいっているようだが、遠からぬ日に(まれに小学校卒業後に)必ずと言っていいほど、極端に男子が荒れるようになる。

がんじがらめにうるさく押さえつけられていたものが、中学入学とともに、自然に噴出するのである。

女性の「肝っ玉先生」は、いらいらと子供の細かいこところまで目配りをして、一々指摘することが、ある意味自慢でもあるが、その効果の程は怪しいものである。むしろ、逆効果のことが多い。

男性教員の場合、どこか抜けているような点があるが、それがかえって、児童生徒には、ほっとする息抜きになる。その上で、抑えるべきところはちゃんと抑えることができていれば、とてもよろしい。

男性教員が担任する学級は、再生不能なほど、学級の子供が荒れる事は滅多にない。教員が、余裕を持って対応しているからで、本気で叱ったにしても、どこか距離感がある。
ところが、女性の年配教員の場合、その距離感を持てない。持ちたくない。ほとんど生理的なものかもしれない。

これでは、子供は息が詰まる。というより、内心では、教員に激しく反発するようになる。その感情は、心の中に沈潜し、復讐の機会を虎視眈々と狙っている。

 

教職は、未熟で生身の子供相手の仕事なだけに、教育効果という点で、「男女平等」はあり得ない。

性差は乗り越えることのできない壁である。男性も女性も、その欠点を補いつつ、各々の長所らしきものを伸ばしていくしかない。
小学校の、学級担任は一年ごとに変わる方がいい、と前にも話した気がする。一年どころか、半年でいい、いや、1学期ごとでもいいのではないか。

ベテランからフレッシュまで、男女を問わず、種々雑多な教員に接したほうがよいのである。少なくとも、運不運の不利や害悪は薄まることだろう。

 

ところで、中学生が大荒れに荒れた時期があった。今でも、似たようなものだが、程度は軽くなった。

あの頃、自称他称の有識者なる連中が、中学生がこんなに荒れるのは、中学校が教科担任制だからで、小学校のように学級担任制なら、荒れないだろう、と真顔で論じていた。
馬鹿な。冗談を言うな。
そんな発想自体が、学校を躾サークルと勘違いするもとなのだ。

学級担任に、なにもかも押し付けて、いい塩梅に楽をしようとするのである。

学校は多数の子供を集めて、プロの教員が教科内容を教えるところである。それ以上でも以下でもない。小学校が学級担任制なのは、その方が安上がりだからである。授業の面からみれば、教科担任制が優れているに決まっている。

親が、我が子をコントロールできないからといって、躾までを教員にさせようなんて、太い了見である。そうまでしてもらいたかったら、給金を今の3倍やれ。教員に甘えるのは、それからにしろ。