ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

2020年度「大学入学共通テスト」、英語スピーキング入試の大失敗。文科省は子供を苦しめるのがお好き。

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文部科学省の間抜けさ加減は、ほとんど冗談の域に達している。
文科省職員が省の利益を画策しているのか、文科省退職後の、再就職先の確保を目指しているのか。そのあたりは、想像してくれ。

2020年度の大学入試から、「大学入学共通テスト」とやらが始まる。
ようやくコナレてきたかに見える「大学入試センター試験」はポイである。「入試改革」だそうである。

今回の大失策の目玉は、民間の英語試験を強制的に受けさせるようにしたことである。

少し考えればわかることだが、民間英語業者は複数ある。利益追求競争の商業企業である。受験生や、在校生が、こぞって、受験するようになる。
業者は大喜びである。すでに、現在の異常な英語ブームで大儲けしているのに、今後利益は天井知らずである。文科省様様だろう。
当然、文科省職員の再就職の前途は大ハッピーである。
その逆に、高校生諸君は、不幸のどん底に叩き込まれている。いや、受験する子供だけではない、その保護者も、学校教員たちも、いつものことながら、文科省の「御英断」には、ほとほと苦しめられるのである。

 

外国語は、必要に迫られないと、少しばかり学んだくらいでは、身につけることはできない。日本在住の日本人には、英語など、全然必要ない。むしろ邪魔である。
日本人の子供に、日本の学校で、英語を無理矢理に学ばせて、それで何をしようと言うのだろう。無駄の極致である。

必要性のある者、何か特定の目的があって学ぶ意味と意欲を持つ者、そういう子供は、選択させるなりして、自由に学ばせればいいだろう。しかし大部分の子供にとって、英語は、不毛不自然無益、時間の無駄どころか、精神衛生上、悪い代物である。
考えても見るがいい、「植民地マスター様」のためでもあるまいが、日本に暮らす日本人が、どうして外国の言葉を強制的に押し付けられなければならないのか。
片言のスピーキング入試で、いったいだれが得をし、だれが裏で高笑いをしているのか。

可哀そうなのは、高校生であり、中学生であり、小学生である。英語英語、と意味もなく追い立てられて、その挙句が、聞き取ることすらできないのである。
人は生まれてすぐに母親の声を聞く、言葉を聞く、日本語を自然に学ぶのである。だから、私たちの母国語は日本語なのである。
語学を商売にするのでない限り、外国語会話など、一朝一夕にできるものではない。英語を聞いて理解する必要もない生活の中で、どうして、外国語ができるようになるだろうか。

 

語学は聞き取りがすべてである。
相手が何を言っているかわかること、次に、何が書いてあるかをわかることが、言語理解の常道であるのに、こともあろうに、スピーキングだそうである。バカも休み休み言え。
聞きとることすら、できるわけがないのに、いったい何を話すというのだろう。
マスター様、次のご命令をくださいませ、とでも言うのだろうか。