ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員は、対象年齢が上がるほど、楽勝である。ならば、大学教員と小学校教員の給料は、差をつけなければならない。

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大学院生の研究発表会で、大学院教員のM(仮名、年齢58歳)が、一人ひとりの発表の後に、しきりにこう言う。
「で、今日の成果としては・・・」。なんだか、忙しない奴だと思ったが、考えてみると、なかなか正直な男である。

と言うのも、大学や院の研究発表会のほとんどは、プレゼンテーションの練習場である。パワーポイントだかなんだかを自慢げに使って、おしゃべりをする。
肝心の内容は、文章にすれば数十行ですむような代物で、その数十行も内容空疎というか、雨の日は雨が降る、といった程度である。
馬鹿馬鹿しい。

Mは、もうこんな毎日に嫌気がさしていたのだろう。つまらない発表にも、少しでも何かを得たかったのだろう。
だから、会の度に、新しい知見を得ることができたのかどうかを、常に自問自答していたのである。

考えてみると、Mは、なかなか真面目な男だったわけである。
大学での、雑多な会が、発表者にとっては、嬉しい学芸会で、聞き手にとっては、時間潰し以外の何ものでもないことを誰よりも感じ取っていたのだろう。
大学教員の気楽な毎日にも、この程度の悩みは、あるのである。

大学ついでに、高校の話もしておこう。
高校教員の仕事は、小学校や中学校の教員に比べると楽である。
しかしこれも、人によりけり、当人次第であることは、あなたの職場と同様である。どんな仕事でも、見合った能力がなければ、苦しいものだ。

かつて、大学教員らの会合で、教員連のあまりの能力不足にあきれ果てて、面と向かって愚痴を言ったら、横の某教授がつぶやくには、「そういいなさんな、論文書けなくて苦労しているんだから」

それを聞いて、私が(腹の底で)どれほど怒り狂ったか、想像してくれ。
誰も論文と称する下手な作文を書いてくれと頼んでない。そもそも、まともな論文を書くこともできないで、何が大学教員、何が研究者だろう。
「すぐに大学から消え失せろ」と気持ちだけで、口にしなかったのは、場を壊したくなかったからである。

それはともかく、高校教員も、一応、高等教育の分類だから、不真面目で不勉強で、できない坊主の男女を集めたような二流以下の高校でも、授業はそれなりに進めなければならない。
それどころか、私立や一部の公立では、生徒たちに、なんとか少しでも勉強させて、どこでもいいから「大学もどき」に、進学していただかなくてはならない。

どうせ、進学先なんてたかが知れている所ばかりである。それでも、進学できなければ、私立高校は、来年から、お客(新入生)が来なくなって潰れてしまう。公立高校は、委員会筋や校長会やら同期の連中から嫌味を言われて肩身が狭い。何より、教員自身が辛いだろう。
そんなわけで、下手な授業しかできなくても、生徒に、テストが解けるだけの学力らしいものをつけようと、各々の教員なりに、がんばっているのである。

高校教員でも、体育、音楽、美術、家庭科の類の教科を教えるのは楽勝で、毎日が天国である。
国語や英語の教科担当は地獄である。数学は、すこぶる楽勝だ。あなたが、数学の教員なら、知っているとおり。数学は主要科目の中で最も安穏である。
国語科は仕事量が半端ない。最も負担の多い科目だ。

英語科は実力以上に評価してもらえる。ごまかしがきくし、いまだに人気がある。
その他の科目は、どれも楽勝過ぎるので、本人に志がなければ、やがて腐る。ほとんどの教員は、喜んで腐っていく。

こうしてみると、大学院も大学も高校も、教員の仕事は、対象の子供の年齢が上がれば上がるほど、楽ちんであることがお分かりだろう。

ならば、お気楽な大学「教員」には、それに見合った給料を、負担の多い大変な仕事である小学校教員には、より多くの給与を与えることが、妥当である。