ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

小学校から大学院まで、教員の能力がどんどん下がる。大学や大学院はアメリカに行くのが吉。

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

日本では、小学校、中学校、高校、大学、大学院と、子供の年齢が上がるたびに、教育レベルが、下がっていく。
教員の質が、小学校教員から大学院教員に向けて、どんどん悪くなる。不真面目で、いい加減な仕事ぶりになってくる。
教員個人だけが悪いというわけではない。社会全体の認識や制度が、それを後押ししている。

日本の小学校は、おしなべて、教員の能力が高く、並外れた熱心さで、子供たちを教えている。
スイスやイギリスやシンガポールにある、ほんの一握りの富裕層の子供が通う、私立小学校のことではない。
日本では、公立の小学校の教員の質が世界一なのである。丁寧で地道な教育活動は、社会的評価や待遇を思うとき、涙なくして語ることができない。
中学高校と上がるにしたがって、残念な教員が増えてくるのではあるが、それにしても、高等学校までは、やはり、世界一真面目で熱心な教員が多いといえるだろう。

ところが、一転して、日本の大学は、驚くほど悲惨である。教員の質が悪すぎる。
大学教員の無能無知無策は、言うまでもない。あれは時間潰しであり、無益であり、子供のだらしなさを増大させ、家庭や子供本人の時間と資金とを無駄にする点でも、有害である。

だったら、日本の大学に行かなければいいのか。左様、行かなければ、よろしい。

しかし、何事も、なりゆき、仕組みというものがある。
構造として既にあるものは、ない昔に戻ることができない。
無駄も有用、清き川に魚はいないと言う。諸悪の根源である日本の大学及び大学教員も、既に存在している以上、一挙に、消し去ることができない。

どうしよう、どうするか。
海外の大学に行くしかないだろう。すくなくとも、大学院は海外に行け。
金なんてかからない、返済不要の奨学金が山ほどある。それを得て、行くがいい。
得ることができないのならば、日本にいるしかない。

そして、そもそも遊園地の別名である「日本の大学」には、入らないことである。


以上は、知人の言である。
海外の大学というが、おそらくアメリカの大学のことだろう。多額の奨学金が出る。
海外の大学で奨学金を得るには、英語力がいる。基礎学力がいる。それはどこで身につければいいのだろう。

ありがたいことに、素晴らしい場所がある。

日本の公立学校、小中高校である。世界一の先生と制度とがある。授業料が無料である。勉強するのに、邪魔をしない。しないどころか、応援してくれる。
貴様、勉強なんかしやがってと、脅されたり刺されたりしない。高校の教室で授業中に銃で撃たれたりしない。
教員たちは、一生懸命に教えてくれる。世間も、子供が学ぶのを苦々しく感じたりしない。爆弾を自習室に投げ込んだりしない。

日本の小中高等学校は、世界一の楽園である。これほど恵まれた場所で、自分から進んで熱心に勉強をしないのならば、大学教育と縁がないのである。
縁あれば、学ぶがいいだろう、だれも咎めはしない。そして、大学や大学院は、アメリカの奨学金を得て、アメリカで学ぶがいい。グローバル教育とやらで、一挙両得である。