ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

公務員や教員の自殺は、パニック障害だろうか。それとも、誰かへの面当てなのか。

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人が死ぬのは、よほどのことである。まして自殺となると、何を好き好んで自殺なんか、と訝しがる。

高校生のころ、クラスメートに自殺を考えた子の多いことに、驚いたことがある。
優秀な子供になればなるほど、十代なら、自殺くらいは考える。疾風怒濤の時期である。当然である。ほとんどの子供が生き残っているのは、実行しないだけである。一種の通過儀礼である。


話は変わるが、年長の男性から一度も誘惑されたことのない少年は田夫野人の類であると、誰かが書いていた。稲垣足穂だったか。

眉目秀麗可憐は目立つにしても、言い過ぎである。
同性の級友から想われたことのない少女もまた、たいしたことはない云々。
私は家人に訊ねてみて、色々と知ったのである。

さて、公務員の自殺であるが、なるほど公務員は天国である。楽ちんである。
嘘だと思うなら、都庁に行け、各役所に行け。議員になるがいい。または、身近な公務員に問うてみよ。
公務員は、天国極楽楽勝である。なにより、公務員本人が、そのことを一番知っている。それすら、余裕で、または平気で、またはやっとこさで、仕事をすることができないのなら、これはつまりは甘ちゃんである。

役所人間が自死すると、さぞつらかったのだろう、責任を感じたのだろう、などと人は噂をするが、公務員は、そんな人種ではない。
あれは甘えているだけである。力不足である。苦労を知らないのである。普段があまりに楽だと、たまに世間並みの波をかぶると、驚いて困惑する。その挙句、どうしていいかわからない。パニックになって、死んでしまえ、ということになる。
役所の中だけが世界だから、こうなる。

しかし、人は自分の体験からしか、苦労を知ることができない。自分自身が尺度であって、他人の気持ちを推し量ることができないのである。
つまりは人それぞれである。小中高校と塾付け、予備校付けで、某大学に入って、某官庁に勤めて、目をキョトキョトしながら生きていけば、大失策も小失策も、自ずと致命傷だと感じるようになる。傷が治せないのなら、死ぬしかない。勝手に思い詰める。煮詰まる。

ただしこれは、例外中の例外である。だからこそ、公務員の自殺が、話題になる。圧倒的大多数は、極楽とんぼで毎日を過ごしている。
省庁役人の自殺、官僚の自殺、公務員の自殺など、取るに足らないものである。死ぬ人は死ぬ。

『李陵』(中島敦)を読むがいい。憤怒だけでも、自死する。まして、失策をや。
それに、世間には、面当て自殺が案外多い。


次に教員の自殺であるが、みなさん、大学教員の自殺をご存知か。私立高校の教員の自殺をご存知か。
寡聞にして、私は知らない。
大学教員の自殺は、滅多にない。あったとしても、あれは最初から、重い精神病の類ではないか。

教員の自殺で多いのは、公立の小中学校教員である。児童生徒の指導に悩んで死ぬのである。
公立高校では、校長がときどき死ぬ。職員の制御ができないことを苦にしたのである。

頭を冷やせば、どうとということもない、時間が解決する、などと他人は言うが、当人にとっては、地球崩壊ぐらいの圧力である。
教員職は、対象が狭いだけに、落ち込むと他が全然見えなくなる。
同僚の対応が唯一の救いとなるのだが、これについては、拙文「ぱるるの教育批評」のどこかに書いたはず。興味のある向きは、探して読んでくれ。