ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

高校教員が人材不足。そこの君、大手企業や銀行や商社を蹴って、高校教員になってくれないか。

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人は常に批判にさらされていなければ、だめになる存在である。
権力は必ず腐敗するというが、自分に酔ってやがて腐るのは、何も政治家や独裁者
ばかりではない。

並の教員も、並以上または以下の教員も、第三者からの厳しいチェックが入らなければ、向上しないどころか、腐って落ちていくこと必定である。

その典型が、大学教員である。
小学校教員は年端もいかない子供とその親から、中学校教員は不安定な子供と進学を気にするその親から、高校教員は変わり者の子供から、批評批判非難が、大小の差はあるにしても、受ける。
ところが、大学教員だけは、どういうものか、誰からも、批判も批評も、監視も、されることがない。腐敗しない大学教員は、0.1パーセント以下だろう。

しかし、今日は高校教員についてである。

いかにも、高校教員は、小中学校のそれに比べて、楽である。何が楽かといえば、すべてが楽なのである。楽をしてないのは、それは趣味である。趣味として、苦しんでいる。
外部からの批判が少ないから、同僚同士で張り合う。無い知恵絞って、自分は優秀なんだ、少なくとも、馬鹿じゃない、というほどのことを、一所懸命に周りにアピールする。つまり、負けず嫌いなのである。
それがよい方に出ればいいが、悪い面に出る。人事でどんなに優遇してやっても無駄である。自分から崩壊する。
教員自身が崩壊するのは勝手というより、自業自得だから構わないが、生徒が迷惑する。

これだけ言ってよくわからない人もいるだろうが、仕方がない。想像してくれ。

子供のレベル、学校のレベル、地域のレベルが、厳然としてある。それを了承して、子供は、当該校に来ているのである。または、ようやく入学できたのである。
であるのに、見当違いな授業をする。しかも、下手である。子供に力をつけるどころか、少ない蓄積をそぎ落とす、丸裸にする。のみならず、破滅させる。

こういう教員は、どこの高校にも、一定以上の数はいる。
なぜそうなるのか。

答えは簡単である。
仕事が楽だからである。

楽であっても、もともとが真面目(であるはず)な教員である。よせばいいのに、どうすれば、自分をもっと偉く見せることができるだろうかと、画策する。肝心の授業はどうでもいい。他の同僚に比べて、自分は仕事ができる男、または女と、思ってもらいたくて身悶えする。まして、同僚よりも劣ると他人に思われることが死ぬより辛い。自分で自分を追い込む。追い込みすぎて、躍起となる。あっという間に崖っぷちである。

こんなことも、他からの批判がないからである。
友が注意してやればいいだけのことだが、その友がいない。なぜなら、学校の同僚は、すでに友のようなものだからである。ようなものに過ぎないから、それは他人であり、ライバルである。しかも、脳内のライバルだから、始末が悪い。

結局、人材不足なのである。

かつて、某国諜報組織は、優秀な人材を確保するために、丁寧に時間をかけて調べ上げてリクルートした。組織の拡大を嫌った大統領が予算を削減して縮小した。それで大失敗したので、今度はあわてて増員するために公募すると、変なのが集まってきて、またもや大失敗した。
人材が鍵であることの証左である。

政治が悪い、制度が悪い、教育が悪い、等々というが、結局は人材がいない。いても極少である。全然足りない。
人材を育てるのは、教育である。
教育は小中高校と子供の年齢が上がるにつれて、お粗末になっている。大学は教育機関というよりも、教員の娯楽室、子供の遊園地だから、除外する。
日本の小学校教員は、なるほど、良い面と悪い面があるにせよ、世界一だろう。中学校教員はかなり落ちる。高校教員はもっともっと落ちる。
具体例には事欠かないが、いちいち示すことでもないだろう。

結論である。
そこの君、高校教員になってくれないか。
大手メーカーや銀行や商社筋から引く手あまたの君、高校教員を目指してくれないか。
エントリーシートを数百送り付けて、やっと入社できるらしいそこの君も、努力次第だ。
多くの味のある人材が、教員になってくれた方が、よほど日本のためである。