ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

出張の無駄。大学付属学校の人気と、つまらない研究会。

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日本には、大学が必要以上にありすぎる。各大学は、一つ一つ、商店であって、税金から膨大な金を配分されて、楽勝の日々である。こんな商売は、見たことがない。
それにしても、商店には人気不人気があるはずなのに、そのオマケである、大学付属の高校、中、小学校は、どこの商店でも、人気がある。
それというのも、私立大学の付属校は、A大学の付属ならば、原則として、A大学に入ることができる。早めの入学保証である。
国立大の付属校は、露骨に大学入学保証ができない代わりに、知名度がある。学費が安い。教員の実力が怪しくても、学級は勉強熱心な子供がほとんどだから、親は安心して、我が子を通学させた。

さて、国立大学付属校では、年に数回、研究会と称する「集い」を行う。小学部は、よくする。
都道府県には、それなりの予算があるから、研修出張という名目で、せっせと、教員が出かけていくが、あれは、いかがなものであろうか。

止めろとは、言わない。業種は違っても、研修出張は、企業・官公庁のほとんどでやっている。予算の消化、気分転換、裏の目的も大きいから、出張をなくすと、各方面に影響が出てしまう。

府議員等が、外交や視察という名目で、外国へ物見遊山に行くのも、一種の出張であるし、実務者レベルの交渉と称して、中堅職員があらかじめ遊びに行くのも、同じことである。蠅のようにくっついていく、マスコミの記者連中も仕事名目だが、遊びである。
とにかく、通常の仕事現場を離れて、どこかに出かけていけば、それは出張である。
何事も、無駄が必要ということだろう。

出張するのと、出張せずに現場にいたときと、どちらが快適かといえば、よほどのことでない限り、出張の方が楽である。出張が嫌だ、辛い、行きたくない、というのは、普段の職場が、異常に楽すぎるのではなかろうか。

付属校の研究会は、付属学校が存在することを世間へアピールするためであるから、やりたがるのは、わからないでもない。
しかし、効果のほどは、はなはだ怪しい。あれは、付属校と都道府県教委とが、互いに了解する談合のようなものではないか。
公開授業に慣れている役者みたいな子供を使って、授業らしきものをして、あとで和気藹々おしゃべりし合う。これを「研究協議会」と称する。

これは、もうそろそろ止めないか。時間と金との無駄である。
うっちゃっておいて、付属学校そのものを、滅びるにまかせたほうが、世のためではないか。