ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

英語だって、馬鹿な。情報教育、外国語教育の愚かさと、手遅れ加減。

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情報の収集や解釈や発信の方法論を、教育現場では、情報教育と呼んでいる。
情報教育は、各学校の情報機器の設備と指導できる教員とが確保できれば、可能とされている。

しかし、事実は違う。
親が、子供専用のパソコンを買い与えることができるかどうかで、決まる。
学校の時代遅れのマシンや、接続の鈍いネット環境、指導にもたつく教員、少ない授業時数(学級によって差がある。ひと月に3回以上、パソコンを使った授業をする学級もあれば、年に3回以下の学級もある。)では、効果のほどは疑わしい。

しかし、買い与えたとしても、家庭でネットを覗く子供は多いが、下らないメールごっこや、つぶやきごっこ、ゲームの類をするばかりである。
それもこれも、学校で、ネットと連動した授業ができていないからで、指導に工夫が必要だ。


ネットの利用というと、すぐに、自称「平等論者」から、「パソコンのない家はどうなる。ネットにつながってない家庭はどうなる」などと、正義の味方ぶって得意げに言い出す者がいる。
馬鹿だなあ。

その家庭には家庭の事情がある。ネットなしでもかまわない、という判断だろう。それでいい。
月に8万も10万も学習塾につぎ込むくせに、パソコンとネットが用意できないわけがない。それでも、しないのは、信念があるからだろう。見上げた教育方針である。
日英韓の三カ国の情報教育の現状に触れる機会があった。彼我の差を感じたので、愚痴を言ったまでである。


情報教育は、日本の将来に大きい影響があるだろうから、もう少し話したい。
具体的には、パソコンの操作ができなくてはならない。
ローマ字入力でキーボードが打てることと、最低限の英語力。
話す聞く、なんていうが、話す内容もないくせに片言の英語で、自慢げにしゃべっても無駄である。
読むことができれば十分である。
読めて、しかも書ければ、鬼に金棒である。しかし、全員が英文を書く必要はないし、できるわけがない。翻訳ソフトで十分だろう。あれは不完全だというが、どうして完全な英文を書く必要があるのだろう。英語なんて、どうせ世界語である。極めて粗雑な「地球共通語」である。カタコトで通じれば十分だ。不完全、大いに結構ではないか。私たちは、日本語を母国語とする日本人である。外国語を使用するガイジンではない。

ネットにストレスなく接続可能なパソコンがあること。
これしきの環境が日本の学校にはない。
だから、キーボード入力の段階で、すでに出遅れている。
英語の読み書きなんて、20年近く学校でやっていても、外人の5歳並である。これは、読み書き聞く話す、と欲張ったために、その挙句、どれもこれも使い物にならなかったのである。
読むことにのみ集中させるべきだった。もう手遅れである。

手遅れといえば、今の中学の英語教科書がひどい。
例によって、挨拶だのなんだのと、幼稚なことをさせている。
つべこべ言わずに、たとえばバートランドラッセルを、熟読・暗唱・書き写しをさせて、読み書きだけは、名文家並を目指したらどうだ。
日本人の能力だ。3年もやればものになる。小学校3年生から、訓練したら、中学生で、ほぼ世界中のネットは読めるし、書き込むこともできる。英文でメールどころか、作文、論文も発表できる。

以上は、公立にはお勧めしない。どうせ外国語である。一番大切にすべき国語をないがしろにしている現状では、むしろ害である。

どこかの実験学校、私立小学校で、やってみたらいいだろう。