ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

ミシュランの評価が嬉しくてたまらない。外国崇拝もいい加減にしないか。

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日本人がやたら気にするPISAとは、OECDがやっている「国際学習到達度調査」のことをいう。
到達度とか到達度評価、絶対評価なんて、現役の教員なら、馴染の言葉である。
評価ごっこは、実に下らない「時間潰し」である。しかし、安上がりに子供を選別したり、教員をとことん使役するには、便利な方法である。
PISAはもちろん、新自由主義の先兵である。
教育を損得商売の場にする魂胆である。実際、教育は金を生み出す不滅の木である。

人はランク分けが大好きで、特に日本人は、白人から認めてもらいたくてしょうがない。近頃は、朝鮮人やシナ人にまで、褒めてもらおうと、必死である。

文科省以下マスコミ人も、外国の怪しげな機関に、評価されることが嬉しくてたまらない。少しばかり上がったの下がったので、一喜一憂する。
下らないことである。

白人種からみれば、有色人種は目下の存在どころか、人間とみなされていない。白人至上主義の信者は、当の白人ばかりではない。肝心の日本人が、白人様が大好きなのである。
OECDのPISAなんぞ、無視でいい。経済人の商売勘定で他国の教育まで評価するんじゃない。

PISAの隠れた目的は、もちろん、日本人の奴隷化である。白人の言うとおりに労働し、目先の問題を手っ取り早く確実にこなす労働力がほしいだけである。

ついでに言えば、フランスのタイヤ業者が、こともあろうに、日本の料理屋にランク付けをするとは何事か。
三つ星だの四つ星だの、馬鹿も休み休み言え。
お前たちの意見など、聞いていない。
舌は自分自身が敏感かつ高尚だ。日本人の繊細な味利きは、外人ごときの及ぶところではない。

しかし、日本人は、どうしても外国礼賛の癖が抜けない。
あれもこれも、日本人自身の歴史、つまり国史を軽んじているからである。
ついでに言えば、歴史とはつまりは国史のことで、「世界史」とかいう教科は不快である。
歴史とは、自分の国家の歴史に決まっている。
他の国の歴史を知りたいのならば、アメリカ史インド史ブラジル史などがあるわけで、概括的な世界史などというものがあるわけがない。あるとしたら、それは何年何月にどこそこで何があったという、年表にすぎない。

しかしそうはいっても、大勢には逆らえない。
日本の歴史が等閑にされていることが、問題なのだ。
祖国を自覚することは、歴史を知ることである。
国史が大切にされていないようでは、国家の明日は、明るくない。亡国の一途とまではいわないが、その可能性はある。

義務教育期の社会の教科書があまりにひどい。教科書会社は、どうしてこんな堕本を平気で作るのか。
教科書会社は営利企業だから、結局は、客が買ってくれそうなものを作る。
客は、国民でもなければ、児童生徒学生でも、もちろんない。採択権を持つ都道府県の教育委員会である。

とすると、教育委員会は亡国の輩の巣であろうか。そうであると言いたいところだが、ことはそう簡単ではない。
実は、彼らも気の小さい小官吏である。

ここまで言うと、おわかりだろう。
陰に日向に、多くの思惑がうごめいている。私利私欲、諸外国の工作の類まで入り乱れて、結局、落ち着くところに落ち着く。

その挙げ句が、この有様である。
誰が、陰で笑っているのであろうか。
不気味である。