ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員は使い捨てでいいのか。医者に似て、教員も円熟する仕事である。

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教員は、円熟する仕事なのだろうか。
円熟できることもあれば、使い捨てになることもある。

円熟しやすいのは、大学院や大学などの高等教育機関に勤める教員である。
円熟しにくいのは、小学校などの初等教育機関に勤める教員である。
なぜ円熟しにくいかといえば、専門性が希薄で、何でも屋だからである。
扱う対象が幅広く、その割には準備時間が十分に与えられない。
勤務条件が過酷で、子供、親、地域、行政その他の監視と攻撃を受けやすく、防御方法を持っていない。
時間外労働は常のことで、落ち着いて何かに取り組む時間がない。仕事内容が曖昧かつ変化が急である。対処の仕方がわからない。非常に不利な環境に置かれている。
以上は、現場の小学校教員の愚痴と片づけることもできる。

大学や大学院の教員は、小学校教員の対極にある。専門性が強いとされている。専門的な職能は特権となる。
どういうわけか、担当時数が著しく少ない。授業らしきものをするための準備も不要または少量であり、勤務環境に恵まれている。教育対象の人数が少なく、「授業」についての外部からの批判や検証が皆無である。あったとしても、おべんちゃらである。

中学や高校の教員は、どうなのだろうか。
その教員の能力によって異なる。生徒指導のできない中学教員、教科の学力のない高校教員は苦しいだろう。

小学校教員は、たとえ、専門的能力がいくばくかあったとしても、その勤務環境によって、遅かれ早かれ、ただのばたばたと慌てふためく教員となるのが通例である。
それに比べて、中学校や高校の教員は、大学や大学院の教員並の「円熟」のための環境が、一応ある。だから、円熟できるかどうかは、本人の能力や生き方の選択による。

さて、小学校教員は、どうやって円熟すればいいだろうか。
現場では無理なようである。
だから、多くの小学校教員は、その目標が管理職くらいしかない。
教員としての円熟が無理であるなら、学校管理職という「転身」によって、自分を満足させたいのかもしれない。子供へ直接、授業をするよりも、職員室で日がな一日、事務員のまねごとをしたい。または、中小企業の中堅管理職気分を味わいたい。一日でも早く、教頭校長になりたくて仕方がないのである。
哀れで不幸なことといえるだろう。

誰にとって不幸かといえば、すべての小学校教員にとって不幸なのである。その職業に内在する価値が、管理職になることにしか、存在しないからである。

現場の教員として円熟できる方法を探っている人もいるだろう。それはそれで、立派な見識だが、実際には厳しい。
というのも、世間はどのような組織であれ、管理する立場を勝ちと見る傾向にある。
社会は、優秀で円熟味を増す教員を(少なくとも小学校現場では)、必要としていない。

初等教育の教員の環境を、教員としての円熟を大切にし、それが可能な条件を備えるようにすることが必要であるが、現実には難しい。世間は教員の円熟を必要としていない。

しかし、学ぶという点では、職場が、小学校であろうと大学であろうと、教員は、有利である。その点については、また。