ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

大学は今でもレジャーランド。顔と身体が、就職のヒミツ。毎日通う高校。

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大学は、レジャーランドと化した。こう言われたのは、もう半世紀近く前のことである。

今ではどうか。

多くの学生や大学教員にとって、やはりレジャー施設であることには変わりはないのではないか。
中学高校と不自然なまでに、勉強と称する「暗記と条件反射」の練習をしてきたのは、この目的のためである。大学遊戯施設に入場したい。医学部等の終身雇用職制に滑り込みたい。

しかし、言いたいのは、そんなことではない。
義務教育期の小学校中学校はともかくとして、高等学校は毎日通うべき場所であるかどうか、である。

遠路はるばる、電車等を乗り継いで、通ってくる生徒諸君を見て、つくづく涙を禁じえない。
一体全体、君たちは何のためにこの学校に来ているのだろうか。高い月謝を出してまで、または自転車等を使用して交通事故の危険にさらされてまで、学校に来る理由があるのだろうか。


年頃の女子男子が、ごろごろ家におられても困る。家人は、鬱陶しくてやりきれない。朝から夕方まで学校でもどこでも、行ってくれた方が、精神衛生上、周りが楽である。

しかし、学校とは、毎日通うだけの成果のある場所かどうかを、冷静に考えると、費用対効果の甚だしい落差に愕然とするのである。


今や、学業は、すべからく就職のためにある。
教養のためとか、学問そのものの楽しみのためなんて、時代が違うのだろう。
就職を目的とするならば、高校や大学に通うなんて、無駄以外の何物でもない。
どのように無駄なのかと言えば、すべてが無駄なのだ。

例えば、
今、某大学の男子卒業生が大手の銀行に就職するには、第一に顔である。次には体格である。愛想のいい人好きのする物腰である。
今、某大学の女子卒業生が、商社に就職するには、第一に顔である。次には体格である。そして、、どうもこれ以上書くにはあまりに憚られる。

大卒資格とは、一つの飾りだが、その飾りは、あまりに虚しい。
高校なり大学なりの入試をパスしてきたということ以外に、本当の自信のよりどころになるものを持ってはいない。

むしろ自分の顔(美容形成を含むべきや否や?)や、持って生まれた身体つきや、その物腰こそが、結局、企業によっては、最も重要かつ戦力になる。
偏差値の高い大学を目指し、そこに入って遊びほうけて、やがて就職ごっこで汗をかくわけなのだが、結局は、持って生まれた資質のようなもので企業の子分になって、働くようになるのである。


土砂降りの雨の日に、カッパ姿で、自転車通学する高校生諸君に問う。毎日毎日、遠くから、学校に来るのは、一体全体何のためなのだろう。