授業批評6
教科書を開かせずに題名で、内容を予想させた。
指導者「どんなことが書いてあるんだろう」
題名から予想させる意図は何か? 興味付け?
次に○ページの扉の写真から内容を想像させる意図は?
指導者「興味をはっきりさせることにつながるから。どんなことが書いてあるのだろうかのような」
「隣の人と話し合いをしてみて」
意図不明だ。さっさと読ませるがいい。
その文章が当該年齢の子供にとって、興味深いような題材を既に選んである。教科書は子供一人ひとりが持っているのだから、予想とか、興味とかは、小賢しい。すでに読んでいる子もいるはず。
二人の話し合いの内容を発表させたが、長すぎる。
説明文は、ともかくも読ませて、そこからが始まりである。
内容によって児童をひきつけるのがよい説明文の条件でもある。ことさらに内容への興味をあらかじめ引き出そうとするのは、時間の無駄である。
授業中、学習規律への指摘が多すぎる。しかし、注意の時の、指導者の穏やかな表情はよい。
指導者の範読。57分から。思つたことをノートにかかせたが、指示のタイミングがずれた。
ノートを開かせる・・・・疑間に思つたこと、はじめて知ったこと、不思議に思つたこと等、いわゆる初発の感想だが、初発の感想を書かせるため手だては、あったのか? どのようなものが望ましいか。初発の感想の意味。効用はあるのか。単元の終わりの、成果の比較のためなのか。むしろ、感想などよりは、内容そのものについて書かせることが必要だ。
説明文授業が、論理ではなく情緒に流れ過ぎている。
指導者「どのようにして身を隠していた?」
子供が、答えに窮していたら、原文にも戻らせる。
「教科書の何ページ何行目に書いてある?」の一言で解決する。
指導者「どのようにして?」
発問に対して、挙手少ない、10人。なぜか。
挙手を待つ時間。「じゃあ、質問を変えますね。何段落か?」
指導者「写真を見て何か気のついたことない?」、「思つたこと気のついたこと感じたことない?」
発門が月並みで、これでは文章を検討したことにならない。知的な探求にならない。具体的に問い、具体的に答えさせなければならない。
無駄なイントネーションをつけて読む子供が多い。淡々と確実に読ませること。
ワークシートをするのは確認作業だから、全員ができて当然だ。だから、やらせるのなら、全員ができるところまで、上げてから、やらせること。達成感。配布のタイミング。
指導者の説明が多過ぎる。聞くだけで疲れる。さっさと、文章にもどらせて、原文から読み解かせればいい。
子供「~だからです。どうですか」の「どうですか」は、そろそろなくしてもいい。「反対です~」 「いけません~」なんて子供はいるの?できるの?。変なやり方だ。同意を前提に同意を確認する。同調圧力。気味が悪い。
質問の答は、原文にあるはず。だから原文に戻ることが大切。
原文を一度、または数回読めば内容が理解できる。その力をつけるために授業がある。
指導者「6段落を一言でまとめよう。」・・子供にうまく伝わってない。
「どうやつていったらいいのかな? ノートを出してごらん」
ではなく、
6段落を短い言葉で説明させる。
6段落にはこんなことが書いてある。読んだことのない人に伝わるように3行で(または字数を指定しても良い)書いて、というように具体的な指示をすること。
いくつかの指示が、確実に児童に伝わっていない。
指導者の指示を、児童のひとりに、板書させる手もある。普段の授業で何回か練習させれば、すぐに出来るようになる。
学級の子供全員が、一日のうちに、一度は前に出て板書する機会を与えること。
指導者の今日の授業の悪いパターン。
説明する、作業させる、思うようにできていない、説明の追加、またできない、またまた追加。
各々の間隔が短いので、児童が落ち着いて作業に取り組めない。
指示の内容、説明の簡素化。明確化が必要だ。