ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

感染爆発は連続する。新型コロナは自然治癒するから、学校再開である。

f:id:paruru236:20170809190024j:plain

学校教育では、国語科や数学科を中心として、論理的な思考方法の訓練をする。
情報の的確な理解と表現である。

テレビを中心とするマスコミでは、「新型コロナ感染症祭り」が、まだ続いている。
大量に流される新型肺炎についての情報らしきものは、内容が豊富なのではない。陳腐な定型句の繰り返しに過ぎない。
知りたいこと、知っておかなければならないことを、簡潔的確に言わないで、曖昧情緒な言説で事実を隠そうとする。


東京都は、昨日は何人、今日は何人の新たな感染者が出た、と発表する。
どういう基準で誰を検査し、その結果がどうであったということを、はっきりさせなければならない。
検査数と陽性結果との割合は、どれくらいなのか。

感染しているかどうかのPCR検査は、風邪症状があって腹痛下痢などがあって、しかも熱が続いている人向けだそうだ。
個人が勝手に検査依頼しても駄目のようである。
帰国者・接触者外来なるものを受診して、医師が必要と認めた場合に限る。
そんな被験者ばかりなら、高確率で感染しているいるに決まっている。検査の意味がない。

検査の結果、新たな感染者が見つかった、と騒ぐのは不自然である。その数百倍数千倍の陽性・感染者がいると考えるのが自然である。

感染初期の段階では、普通の風邪か新型コロナウイルスのよるものかが見分けられないのだろう。ならば、すでに感染爆発はしているし、陽性者が巷にあふれているだろう。自然治癒した人も、その何倍もいるだろう。

無作為に検査したら、それこそ、都民の半分が陽性か、過去に陽性だったが、今は陰性になった人、のどちらかではなかろうか。

国民の大半が感染しているのではないか。
風邪症状、そして自然治癒があって、国民大多数に免疫ができて、終わりである。感染爆発は最後の火薬がなくなるまで続くだろう。

 

陽性の結果数を云々することは、無駄に思える。各種の集会自粛、もはや流行り言葉になった「不要不急」の外出自粛を要請したりすることも、効果のほどは怪しい。


何度でも言うが、風邪の一種である。重い症状が出る人もいれば、感染しても、知らぬうちに治癒してしまっている人もいる。

自然のままに、ウイルスが消える、または慣れっこになるまで待て、とまでは言わない。しかし、現状では、それ以外に方法がないだろうということは、誰でもわかる。


ついでに、もう一つ。

知人が言うには、「ツイッターはバカッター」と。
言い得て妙である。

ふとした思い付きのつぶやきに過ぎないのに、拡散または拡販材料として使えるから、売名その他の商品売買に便利である。

フォローお願いします、などという字句を見ると気分が悪くなる。黙って、汝のするべきことをしていろ、と言いたいところだが、テレビと同じことで、ツイッターは手ごろな時間潰しに適しているのだろう。
遊びであるから、笑って見ていればいいことである。

 

ツイッターは、いわゆる「有名人」や、すでに他人に影響を与える力を持っている発信者が、自分の意見を多数の他人に向けて、短時間で広報するにはいいだろうが、無名な人や、もともと興味のない人にとっては、無関係である。

通信手段としても、ツイッター好きの仲間内では見ることができようが、ネット環境を持たず、はなからその類の情報を信用していない人には、無に過ぎない。

言説があふれかえることは、その価値が薄まることであって、真に知るべきことを、大量のごみで覆い隠すことになる。

スマホピコピコで、無駄口を増やすのは、ごみを増やすことと同じ、と言えば、怒る向きもあるだろうが、勝手に怒ってくれ。

ツイッターは、個々人のボケ防止や自己満足感を得ることができるのかもしれない。それにしても安直に過ぎる。
せめて一度に最低500文字は書いていなければ、文章にならない。それは怒鳴り声であり、泣き声である。
また、他人の言説を、当人に無断で、盗用というか引用するのも失礼である。


かく言う私も、ボケ防止のために、こうして駄文をつくっているから、バカッター仲間の同類であることに違いはないだろう。