ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

小学校教育

素人監督、サッカーやテニスのにわかコーチの類。中学生の授業妨害の責任。

某役所の知人の言によると、少年少女の野球の監督、テニスやサッカーのコーチなどの、希望者が多いそうである。年金暮らしの暇人がするだけではない。その多くは、中年壮年の働き盛りで、本業の仕事だけでは、満足できないと見える。 テニスは、習得が困難な…

肝っ玉先生に、ご注意。男先生、女先生のそれぞれの魅力がある、たぶん。

教員も年配になると、それなりの貫禄がついてくる。 新卒で先生と呼ばれて、年上の親から刺すような目で授業参観されたのが、今は昔。保護者は自分より年下になった。長年の経験上、子供の扱いが上手になった、多少の知識も増えた、とあらぬ自信を持つように…

日本の小学校教員は、世界一である。しかし、教育効果が上がらないのはなぜか。

日本の初等教育に携わる教員の水準の高さは、誰がなんと言おうと世界一である。その熱心なこと、真面目なこと、繊細な配慮等々、他の追随を許さない。これは喜ばしいことだろうか。残念ながら、必ずしもそうではない。 小学校学級担任教員が優秀であっても、…

子供の我儘と親の甘え。本音を吐くと地雷原。教員の生き残る道。

子供は我儘な存在である。家庭ですらそうなのに、赤の他人ばかりの学校で、我儘を通さないことがあるだろうか。 かつて学校は、子供を家庭から切り離し、冷たく厳しい規律で、子供を震え上がらせた。学校の価値は高まった。それがどうだろう、今では、生ぬる…

「楽しい授業」は、NHK朝の連続ドラマのような俗悪番組と同類か。教科書と黒板と、そして優れた教員がいれば、それでいい。

平成30年現在、多人数の教室は減った。かといって、学級定員が少なければいいってものでもない。小学校で一学級の人数が、40人を越えても、落ち着いて静かに学習できる学級もあれば、たとえ26人でも騒がしく落ち着きのない学級もあった。しかし、学級の児童…

教員は、対象年齢が上がるほど、楽勝である。ならば、大学教員と小学校教員の給料は、差をつけなければならない。

大学院生の研究発表会で、大学院教員のM(仮名、年齢58歳)が、一人ひとりの発表の後に、しきりにこう言う。「で、今日の成果としては・・・」。なんだか、忙しない奴だと思ったが、考えてみると、なかなか正直な男である。 と言うのも、大学や院の研究発表…

長すぎる学校生活。授業の押し売りは、のっぺりと従順な国民の量産に最適だろうか。

体育や美術などの実技系の授業によくみられることだが、実際に子供が活動することが授業の眼目であるはずなのに、なかなか子供の動きがみられない。子供を動かさない、子供の動きを封じてしまっている授業がよくある。指導者が、授業の体裁を取り繕うために…

小学6年生の学級担任は、子供の人生を変える。「当たり」の教員を探して転校し続けても無駄である。

小学校の6年生の担任の影響は大きい。小学校に通う6年間のうち、6年生の時だけが特別ではない、と言えばわかりやすいだろうが、そうではない。1年生から5年生までどんなにひどい状況であっても、6年生の時の担任の力で、立ち直らせることできるからである。…

子供は、教員の奴隷である。入学以来、周りを見て育つ小学生。

子供たちは、小学校に入学すると、さっそく担任から、ああしなさいこうしなさいと、命令される。それは、仕方のないことである。子供たちは、個性の塊と言うよりは、我がまま勝手な暴君の集まりである。担任は一人で、手強い彼らを相手にしなければならない…

戦々恐々の始業式。「当たりの担任」を選ぶことができるかどうか。

子供が、担任教員から一番影響を受けやすい時期は、小学校の高学年である。次に中学校、小学校低学年、高校、大学と続く。大学や大学院の担当教員に感化を受けたというのは、そう言った方が保身につながるからで、実際は、無関係に等しい。さて、4月には小学…