ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

高校の国語科教員、試験対策お疲れ様。能力不足で挙動不審。

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現職の教員は、仕事上の能力不足の人が多い。
だからといって、教職に限らず、仕事に必要とされている能力を持った人がどこにいるのか、どんな職業があるのか問われると、答えに窮する。

国政に顕著だが、政治関係で食する人を筆頭に、どのような仕事でも、能力未満の人が大部分である。みなさん自分をごまかし、他人を欺き、どうやらこうやら、アップアップで仕事をしている、または、しているふりをすることが、社会の実情であること、貴兄がすでによくご存じのとおりである。


さて、今日のお題は、高校教員の能力のなさに、哀れさを感じる、というより、呆れるしかない、である。

能力不足の教員が通常なのは、大学の教員である。しかし、大学教員は、仕事というより、趣味で高給を得る、という幸運な特殊な世界の住人だから、ここでは論じない。彼らは、「仕事」量と収入とがまったく反比例する特権階級である。

大学教員のような、極端な例はともかく、小中高校の教員の中で、もっとも「おいしい」のは、高校教員である。
高校教員は、教員として、いかにも教員らしい職業と言えるだろう。
扱う相手は、青春真っただ中の、「ちょうどよい年ごろ」の少年少女であって、話してよし、聞いてよし、かまってよしの、「三良し」で、教員は楽勝の構えである。

であるにもかかわらず、落とし穴があるのは、教科によって、仕事の質量の差が大きいことである。教科ごとに、別の職業と考えてもいいくらいである。工業高校商業高校の楽ちんぶりは、今は触れない。ここでは普通高校を例とする。

国語英語数学などいわゆる主要教科の担当教員は楽ではない。この中では、数学科が圧倒的に楽勝。次が英語科で、国語科は最悪の選択である。
しかしながら、国語が教科の中では最も重要であること、貴兄も賛成だろう。
国語は、思考の根源、民族文化の継承、情報収集伝達の要である。教科教育の基本であるといっていい。
なおも、しかしながら、国語が教科として頭抜けて重要であることと、それを教えることができるかどうかということは、まったくの別物である。

教員ひとり一人の能力の問題だから、言っても詮無きことではある。
しかし、悲しい現実を知っておくことにも、意味があるだろう。


能力不足は、国語教員に限らず、他のすべての教科教員にいえることであるが、しかし、国語以外の教科は、ごまかしがきく。このことは、あなたが、教育の門外漢であったとしても、少し考えればわかるだろう。
それでもわからないのなら、以下を読んでも、失礼ながら、たぶん永遠にわからないだろう。

 

教える行為として、困難で手ごわい国語の教員が、なんともお粗末至極で、結局は、自分の能力不足を自覚せざるを得ず、よって教員としての自信が持てない。
国語は普段話している言葉だから、誰でもが知っていて、ある程度は自由に話し読み書くことができる、と少なくとも当人たちは思う。
こんな教科を教えるに際しての、子供の実力を伸ばし、子供を圧倒していく、資質や学力とは、いったい、どのようなものだろうか。
英語科のような単語知識や、数学科のような問題回答慣れ、などとは、全然違う。

 

国語科教員に求められるのは、読解力文章力膨大な読書量、知識意欲、哲学心理学社会学その他全般の知識、はったり芝居おどけ阿呆尊大カリスマができることなど、そのすべての特質を備えた、人間味あふれた人生経験豊富な人物であることが、要求される。
そんな人間が存在するのか。

いるわけない。
と言いたいが、実はいる。
ごくごくまれに、いる。国語科教員千人にひとり、万人にひとり、存在するかもしれない。ロングテール説である。母体を限りなく大きくすれば、ともかくも、存在はする。
当然、そんな教員に邂逅できる確率は限りなく少ない。


大きな話はここまでとして、通常の高校国語科教員の話に戻す。
案外簡単な話となる。
定期テストで、自分の担当する学級の平均点が、他の学級より、1点でも、高ければ、それで大満足な教員がほとんどである。
というより、そのこと以外に関心がない。
子供の実力を向上させたかどうかではなく、もとよりそんな芸当はできるわけがないし、能力不足がデフォルトなのだから、どうやってごまかしをして毎日を過ごしていくかに、主な関心がある。

定期テストで、採点に手心を加えて、他クラスよりも平均点を上げるかである。
それよりも効果のある簡単な方法は、テストの作成担当になった機会を利用して、テスト内容を、試験日すれすれまで他の教員に教えない、見せない。
他クラスの子供には予習をさせないのである。教員にテスト準備や復習をさせないのである。
その一方、自分の担当クラスの子供には、ほとんどテストの内容そのままを、あらかじめ吹き込んでおく。
試験日前から、担当クラスを格段に有利な状態に持っていく。
これが、一般的な国語科教員であって、事実そのままである。

 

さあ、試験が終わった。採点する最中も、他の教員のクラスの結果が気になって仕方がない。目をきょときょとさせながらディスプレイに成績を打ち込む。あるいはあえて、後から打ち込む。
思惑通り、自分の担当クラスがトップで、他クラスが下の下なら、してやったり、「私はできる教員ですよ」とばかり鼻が高い。
これだけ汚い手を使っても、結果が悪ければ、不機嫌極まりなくなって、ふさぎこむ。周りに当たり散らす。

 

あなたが教員なら、あるあるで微笑むことだろう。高校に限定したが、中学でも同様だろう。


このくらいにしておく。

 

 

新型コロナウイルスは、マスコミと公務員が仕掛けた大博打である。 スマホピコピコさんに、コロナ「危機」を授業できるか。

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知人嘆いて曰く。


だれもが気づいているだろうが、新型コロナウイルス騒動で、いちばん利益を得たのは、マスコミ関係者である。具体的にはテレビラジオ新聞雑誌、ネット業者、それらに駄文を売って稼ぐ連中。
コロナを話題にしさえすれば、金が入る。これほど、うまい商売は、これまで、戦争を除いては、なかった。
だから、今もこれからも、コロナウイルスとやらの「恐怖」の宣伝拡販、植え付けをして、ずっと儲けようとするだろう。

議員および国都道府県その他公務員は、以前も安泰だったが、コロナごっこ以来、ますます安泰となり、組織はより強固となった。なんでもできる。

例えば某首相のケースは、本来ならば、訴追逮捕である。しかし、それもない。コロナを語れば、某知事のように選挙も独り勝ちできる。政策の比較検討もしない。ただ、コロナコロナと煽っていればいい。マスコミと大連結、お仲間で、なーに、ニッコリ手を組んでコロナで大儲けである。

 

かくも、低劣下劣なる連中を、有難くご指導ご鞭撻いただくべく仰ぎ見るのが、私たち国民である。鏡を前に、自分の間抜け面をつくづく見ながら反省するに、まあ、これでいい、この程度がお似合いかな。結局は、誰かに騙されるために存在するのが、私たち国民ひとり一人である。

そのために、マスコミを作り、手段がどうあれ代表制政治体制を作った。某チャーチルも言ったように、「最低だがこれしかないな」。

 

スマートフォンと称する、「思考破壊兵器」を高額にもかかわらず自分から喜んで購入し、四六時中それを眺めて、ぼんやりした頭でゲームをし、動画を眺めている。
思考を鍛える読書なんてしたことがない。ただ、スマホピコピコで生きている。
子供から大人まで、スマホ中毒が完全に普及した。もう大丈夫である。あとは、マスコミ宣伝屋の思うがままである。

その効果検証実験のひとつが、今回の「新型コロナウイルス騒動」である。騒ぐのが、発生源の中国と南北朝鮮と日本だけくらいなら、例によってご苦労なことだと、笑っていることができたが、こともあろうに、今回のコロナごっこは、世界中を巻き込んだ。
冷静なはずのドイツイギリスフランスや、大国アメリカも、大騒ぎになった、または、そのふりをしたのは、意外であった。
志村けん流に言えば、「殿、ご乱心が過ぎますぞ」、である。

 

何度も言うが、コロナウイルスは、風邪の一種で、なんら騒ぐ必要のないものである。人類全員が感染したところで、問題ない。というより、感染するしかない。感染しない理由がないだろう。完全に防ぐ手立てはない。だから、いずれ感染するだろうし、その結果、収束する。

こんな明快な事実を推察できないなんて、想像力の欠如である。

コロナごっこで、毎日大騒ぎするどころか、国民経済にダメージを与えてしまう諸策を実行してしまうなんて、笑い話にもならない。

 

感染するものならば、一刻も早く感染した方がいい。感染を遅らせれば遅らせるほど、マスコミと公務員の利益は拡大する。そのためのコロナ話題の延命ということが、理解できないのだろうか。まあ、理解できないのだろうな。もとより、理解したくない。ずーとこのままコロナで酔いたいのである。他人の指示で、踊らされていたいのである。
それでいい。それこそが、敬愛すべき日本国民であり、それしかないだろう。

だから、今後も、マスコミ関連業者及び政治屋を中心とする公務員のために、せいぜい、新型コロナウイルス話題で、盛り上がってくれ。

 

ーーー
と、以上のような話である。
さて、どうしたものか。
たしかに、私たちは、コロナウイルスに感染してしまうことが、それほど大変なものなのかどうかは、身をもって知らない。政府自治体とマスコミの話題だけである。
コロナの死亡者というが、主要因がコロナで死んだのかどうか不明である。それほど致命的なウイルスとは、誰も信じてはいない。
コロナは、風邪である、または肺炎である。
であるのに、マスコミと政治公務員は、大袈裟に報道宣伝する。

すでに子供に広がっているだろうことは、想像できる。というより、子供の大半が、すでに感染していると推測できる。検査してないから、推測としか言いようがない。
子供でも大人でも、大部分は、無症状というか、平気である。風邪菌を持ったからといって、誰でもが風邪を「ひく」わけではない。ほとんどは、無視である。
だから、コロナウイルス(実際存在するものならば)は、どんなにがんばっても子供には広がらない、と考えることもできる。感染させようがない、拡大しようがない。若い抵抗力が勝ってしまうからである。

事程左様に、コロナウイルス騒動は、不明瞭不明確、怪しさ満載で、これ以上、話題にするのも、バカバカしいのであるが、現実に、毎日の生活を束縛しているので、やはり知らぬ存ぜぬを決め込むこともできないという、困ったテーマである。

 

もともと、ぱるるの教育批評は教育、特に学校教育についてのあれこれを話してきた。そのはずだったが、学校現場も、コロナウイルス感染騒動に巻き込まれ、都合よく利用されてしまっているので、今年は、何度かコロナウイルスの類を書いた。

 

思い出したが、ついでに言えば、ネットの売文業者はコロナで収入が「激増」している。
たとえば、新聞社などのマスコミに勤務し、中途退職後フリーとしてネットに売文する輩が多くいる。この連中は、コロナ話題をばらまいて、笑顔が止まらない。
情報源は極めて怪しい。彼らは、外国新聞デジタル版、個々人のブログ、その他ネット上で情報らしきもの、アイデアらしきものを、血走った目でかき集めて、それらを加工して文章をでっちあげて、売文する。卑しくも、面白い稼業である。

 私は翻訳物のフランスの古い本をよく読む。読むたびに感服する。
彼らの明晰明快さを求める思考は、どこから来たものかと思う。
はっきりしているのは、古人の、例外なく、読書の質量ともに、実に豊富なことだ。

教育は、読書、それも内外の評価の定まった古典のみを、眼光紙背に徹するほど、読ませるしかないのではなかろうか。

当然ながらスマホピコピコ人間では、駄目である。

 

拙文で、古人は言った、と時々書くのは、こういう理由からである。

 

 

 

「ウィズコロナ」から 「ラブコロナ」へ。世界を巻き込む集団ヒステリーと、マスコミの宣伝力。テレビは、一発逆転大勝利。

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本当に情けない。
病毒性の弱い、感染力の弱い、どうってことない、新型コロナウイルス

こんなものを大騒ぎするなんて、テレビマスコミおよび、大切な何事からか国民選挙民の批判的な目をそらしておきたい、政府与党その他税金で食っている者共の、姑息な作戦に決まっている。
コロナウイルスごっこを、まだ真顔で、対策だの、第二第三の波だ、なんて、漫才にも、ほどがある。

新型コロナウイルス騒動で、一番の得をしたのは、政治屋とテレビマスコミと、病院関係者。
少し冷静に考えれば、よくお分かりのことだろう。

 

東京都知事の小池某は、テレビ出のタレントだけに、コロナを大袈裟に最大限に利用した。
都知事選に向けて、コロナ感染確認者を押し上げて、テレビに出ずっぱりである。これは何よりも効果のある選挙宣伝になる。

テレビや新聞はネットに押されて虫の息だったが、コロナ騒動で一挙に再び宣伝の帝王となった。洗脳扇動の主に返り咲いた。
やれやれである。

今回のコロナ実験では、世界中が騙される、または騙されたかのように報道ができることが確認された。

 

時間が進み、時代は変化するというが、なんのことはない。
私たちは、永遠に変わらない。

主人を求めて彷徨う羊さながらで、いつでも、他人に騙されたくて、不安な目でうろうろしているのである。

 

ところで、マスクをして歩いている人は、あれはいったいなんだろう。

マスクはかっこいい。同調する私って素敵よね。


体育の授業で、マスクのまま走らせて、高校生が死亡したけれど、教員の間抜けさ加減がわかる。
近頃では、もちろん、体育の授業はマスクをさせない。熱中症対策だそうだ。
三密を避けるのだそうで、試合をやらせない。二人一組の柔軟体操はもっての他である。距離を取って一人運動をさせて、そしてだらだらと走るだけ。

 

誰も、感染していないのに、または全員感染しているのに、マスクをさせて店内をうろつく。
居酒屋では、形ばかりの手の消毒と、入店するときのみ、マスクをすること。
甚だしきは検温するところもある。お前は主治医か。

店主曰く、どうせこんなこと意味のないことですが、もしものときに、あの店はしてなかった云々と、噂になるのが嫌だとか。
ま、早く燗をしろ。

 

家人は、ゲイツがどうの、人口爆発防止、妊娠予防ワクチン等々と、怪しげなネット情報を言うが、万が一そうだとしても、ずいぶん迂遠な方法だな。

もっと手っ取り早い方法があるが、言うのは止めておく。


世界人口は、この半世紀で2倍になった。この分では、地球は人類の重みで沈みそうである。

私はかねてより、日本の人口は3000万くらいが適切で、狭い国土で1億人を超えるなんて無様なことだと考えている。
人口は、少なければ、少ないほどいい。

各家庭に子供は一人で必要十分である。よほどのことがあって、二人である。
3人も4人も、それ以上も生むなんて、いやはやそれほどのご家庭なんですか?

以上の意見は、不謹慎だと言いたい人がいるだろうが、ちょっと待て。
中国インドアフリカの人口爆発、そして、その他にも、十分に政府が国民の面倒を見ない、見切れない、野蛮なる多くの国家を見よ。
そしてそういう国は、産めよ増やせよ人海戦術をとって、他国を地球を、飲み込もうとする。
こんな状況では、某ビルゲイツも、なんとかしなければと、半ば善意で、あれこれ考えるに違いない。

 

人は生まれてこなければ、そもそも人ではない。人間の尊厳を無視はしない。

過剰に生まれてくるから、または無理やり生まれてくるから、人の尊厳は地に落ちるのである。


さて、話があちこちしたが、ウィズコロナだそうだ。だったら、隣人である。仲よくしたらどうか。つまりは自然にふるまえばいい。あるときは無視をして、気が向けば時々挨拶をすればいいのである。
それとも、四六時中気になる愛人なのか? だったら、ラブコロナと呼ぶがいいだろう。

 

世界人口の推移 https://tokyo.unfpa.org/ja/publications/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%EF%BC%88%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%EF%BC%89

 

ぱるるーむ、YouTubeで旧車整備、ネット乞食、都知事選挙活動、関係者による新型コロナ感染数ごっこ。

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東京都は「関係者によると」という例の出だしで、武漢コロナの感染者数が○○人だ何だと、毎日ご苦労な事である。
どうせ現都知事職にある小池某の指示だろう。
数字は何とでも動かせる。
然るべき場所で然るべき検体調査をすれば、恣意的に数値の上下が可能である。マスコミも、お仲間だから、コロナ選挙を一緒に盛り上げ、または盛り下げる気だろう。

一体全体、政治職にある連中は、国民、都民、選挙民を、馬鹿にしきっている。
もっとも、馬鹿にされて、誘導され、檻の中のハムスターよろしく小さな世界でバタバタと働いて、生きて死ぬのが、私たち庶民である。特に日本国民は、世界一、操作されやすい人々である。

嘘だと思うなら、と書きたいところだが、あなたも同感だろうから、縷々述べる必要はないだろう。

 

話を変える。
家人が、「ぱるるーむ」を見たかと問うので、そりゃいったいなんだ?
どうやら島崎某が動画サイトでコントのようなことを始めたようだ。
ぱるるは、当ブログの名でもあるが、理由はすでに以前の記事で書いた。

簡単に言えば、家人が、ぱるるの姉だの、明るいぱるるだの、若い教え子から呼ばれていた。秋葉原のドンキで、買い物ついでに、AKBを何度か見物した。AKBが出だしの頃で、当日でも席が取れたのである。
他にも、郵便貯金通帳に「ぱるる」なんてものがあった、云々。
そんなことから、「ぱるるの教育批評」としたのである。


俗にyoutuber という輩がいるが、あれは物乞いみたいなもので、「ネット乞食」である。
猫なで声で「チャンネル登録お願いします」「高評価を」なんて、どの面下げて吐くのだろう。ちゃんと真っ当な仕事して、食っていくがよかろう。

 

しかし、島崎某を非難しているのではない。むしろ、応援している。

あれは芸人の一員だろう。つまりプロである。芸人なら、投稿動画だろうが何だろうが、すべて商売である。仕事である。出来不出来は別として、芸能商売人が金銭のためにする仕事の一環である。

 

私が唾棄するほど嫌いなのは、素人が、投稿動画で視聴者に媚びて、金銭を得ようとする者どもである。彼ら彼女らは、芸能界という修羅場を知らない。甘え切ったプロ気取りで、小銭を稼ごうとする。これが、私の言うYouTuberである。

 

ところで、少し考えればわかることだが、動画は出したもの勝ちである。あれは見るものでなく自己露出する手段である。

あんなもの、他人の動画を見るには及ばない、自分自身をディスプレイで見て、自己満足に浸ればいいだけのことである。

 

動画を投稿せずに、他人の動画を、ただ見ている人は、暇つぶしに見てやっているのであって、謹んで観させていただいているのではない。面白半分に、乞食を眺めているだけである。

それを何だ、芸人になった気で、登録してくれ、とは、笑わせる。高評価を、なんて噴飯である。評価の対象ですらない。

 

しかし、中には、極めて役立つ動画が多くある。

DIYや車の整備やその他、技術に関わる動画は、ネット乞食の唾棄動画とは、全然別物である。

内容は、無料のオンライン授業みたいなもので、視聴者として、大変重宝している。

当家の車は、たいへん古いので、度々の故障や整備で、その都度、車屋に出すと金がかかりすぎる。さあ、整備士らしき人々の動画の出番である。いくつか見れば、ほとんどの問題は解決する。動画を指南役として、こつこつ作業すればいいだけのことである。これがまた、私にとっては、面白い趣味である。

他にも、庭作り、家具や建物の補修等、動画から教えられることは多すぎる。

なるほど、これなら、教育現場でも、オンライン授業というか、いや、単に動画サイトだけで、十分に授業の効果を上げることができるだろう。その証左である。

 

今年は、コロナごっこの影響で、事務職を中心にテレワークが広がったようだが、ならば、中等高等教育のほとんどは、ネットで可能ではないか。いや十分できる。十分すぎるくらいだ。無能教員の大量解雇もできて、一挙両得である。

 武漢コロナにも、少しは、利点があったようだ。

 

 

 

 

 

 

コロナ騒動でどれだけ儲かるのか。学校、政府、公務員の高笑い。

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長く教員をしていた知人が来訪して、以下のごときを言う。
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コロナ騒動を続かせることによって、マスコミ一同、次期選挙立候補者その他、主として公務員関係者の、喜びの毎日が終わりそうもない。

 

どうも困ったものである。テレビマスコミは、東京都を中心に、コロナウイルス騒動を、どうしても終わらせたくない。
政府の忠犬ハチ公グループの一匹でもある文部科学省は、武漢コロナへの意味不明の対策で、各学校を引っ掻き回している。とはいえ、地方自治体各学校の無教養とおっちょこちょいとの添加剤も、効きすぎである。

各学校のバカバカしい行動はさておく。

 

教員も子供の親も、どうせ情報源はテレビである。

つまりは、テレビが、どう言うか。どのように「愚者たる国民視聴者」に指示命令するか、で、日本国民の動きが決まる。

テレビは、もちろん、常に政府与党の下部である。手下でなくなる時は、現政府が落ち目で、次の政府に取って代わることが、誰の目にも明らかなときである。
そのタイミングを見極めることだけが、マスコミの得意とするところ。

誰の言うとおりに動けば、自分の利益になるかが、最大の関心事である。
取材活動とは、自己の利益を探ることである。

「関係者によると都内の感染確認が、今日は○○人だ」と、嬉しそうに、または物足りなさそうに話すが、どうせペーパー読みの芸人崩れだ。中身なんて何もありゃしない。

都知事選終了まで、武漢コロナウイルスごっこは続くだろう。

安倍某も、自分自身に有利である限り、コロナ騒動を、止めさせないだろう。手下のマスコミ新聞テレビ、特に利益集団NHKは、忠実に、コロナごっこを演じるだろう。

 

だからな、いい方法を教えてやろう。

現職の首相、東京都知事以下、各府県知事その他諸々の議員連中を、一人残らず全員、次の選挙で落としてしまえ。現職議員のすべてを、コロナとともに退場させればいいのである。
ならば、新しく職を得た議員どもは、無策のウイルスごっこで、やたらに、宣伝めいて騒いだところで、自分の利益にならないことを思い知るだろう。

ともかくも、次の選挙では、現職知事は全員落とそうではないか。コロナ騒動の時に現職だった連中は、コロナとともに消え去るのである。

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とまあ、以上のような話である。

選挙で得た公務員の職にあるものを、全員落とすにしても、彼ら彼女らよりもっと無能な連中が、次に当選して現職になると、相当に、まずいのではなかろうか。
という疑問も浮かぶのだが、しかし現職の総理その他内閣、議員諸君よりも、甚だしく無能な人は、探してもそうそうは見つからないだろう。
だから、現職の諸君を、全員馘首しても、全然問題ない。
新陳代謝が必要である。特定個人を、1年以上、長くても4年を超えて、権力の座につけることは、絶対に危険なのである。

それにしても、第二の第三のウイルス騒動が、次々とまた出てくるだろうが、そのときもまた、ウイルス関連の連中を、みな交代させるのである。お疲れ様、ということだ。


さて、近所のいくつかの大学は、まだ閉鎖している。
一体全体、何をやっているのだろうか。
三密を避けるのだそうである。大学に学生を来させないのである。

散歩途中に構内を覘くと、たまに、数人の教員が、暇そうに眠そうに出入りしている。

 

その一方、学生たちは、各々が、自己の居室の類で、「三蜜」の真っ盛りである。
性的唾液交換、その他液交換配合、密室酒盛りの三密接で、なにがなんやらわからない。

断言する。来年度の大卒新入社員はもちろんのこと、今後6年程度は、お粗末フレッシュマンの行進曲となるだろう。

とはいえ、例年通りと言っておいても、大差ないのかもしれない。

 

 

 

集団ヒステリー、コロナウイルス騒動が終わらない。マスクをして走る人々。

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某氏来りて、憤慨して言うには。
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一体全体どういう気だろう。誰もかれもが、コロナコロナと騒ぎすぎる。
少し冷静に考えようではないか。
コロナウイルスが原因で、いったいどのくらいの死亡者があるのだろう。
人は死ぬときは死ぬ。コロナウイルスが原因で死んだとされる人数は、驚くなかれ、日本国内で、6月2日の統計では、確認された感染者数16996人中、死者903人である。
なんというか、驚くべき致死率で、ほとんど、自然死に近い数値である。


武漢コロナが、世界中に広まったのは、中国北京共産党の失態に原因がある。加えて、WHOという特権集団に責任がある。
しかし、責任問題を云々する前に、なぜに、コロナ騒動が、これほど世界全体に、ニュースバリューがあるかである。不思議でならない。


一体全体、人類は、これまでに、どのくらい人命を大切にしてきたのだろうか。人間の価値を大切にしてきたか。
急に手のひら返して、新型コロナウイルス対策だ、と大騒ぎする様子が不気味である。

 

たかが風邪である。風邪は重篤化することもある。死ぬこともある。それがどうした。

ちなみに、ウイルスによる感染は、完全に防ぐことはできない。二次三次四次感染どころか、永遠に、ウイルスと人間とは、兄弟なのである。

それがどうだろう。新型コロナウイルス武漢ウイルス)とやらの、今回の騒ぎぶりは、異常である。集団ヒステリーなのか。
国家のヒステリー症状は、一部の人間が莫大な得をしている証拠である。その他多くは、損失をする。これが世間というもので、諦めてはいるものの、あまりに、踊らされ続けている様は、怒りがわくというよりは、呆れるのである。

 

ウイルスは死滅するまで、広がり続ける。防ぐことはできない。

地球の全員が感染するまで、大騒動を続ける気だろうか。全員感染したとしても、また次の新手のウイルスがやって来るだろう。
そのたびに、大騒ぎして、マスクをつける気か。それは、大人の判断ではない。子供、それも幼児のそれである。

 

ついでに言えば、マスコミ報道の「今日の感染者数は関係者によると、○○人で」というが、一体全体、誰が発表したのだろう。どういう「関係者」なんだろう。あれは、政府の「思い付きの操作」なのではなかろうか。

それほど心配なら、今日は世田谷区、明日は杉並区、というように、区民全員片っ端から、PCR検査をすればよかろう。検査すらしないで、発症してから大騒ぎする。クラスターとは、なんぞや。事後報告にも、ほどがある。

感染しやすいウイルスなら、とっくに、何十万、何百万人と感染しているはずだ。そうでないのなら、感染力が弱いのである。ならば、最初から無視していい。鼻風邪ぐらいの気持ちになれ。

 

持病があるから怖いという人がいる。しかし、持病は万病の引き金、重篤しやすいのは、コロナに限ったことではない。

ーーーーー
とか云々。

 

さて、学校は再開したようだが、変な時間に、小中学生たちが登下校している。今通ったと思うと、もう帰り道である。
みんなにこにこして、遊びに余念がない。

 

大学生も、毎日2コマ3コマと「オンライン授業」があるというが、なーに、PCつけっぱなしで、スナックを口に放り込みながら、彼女彼氏といちゃいちゃしている。ログインさえすれば、こっちのものである。

ゼミナール形式の授業は少人数が建前だから、ズームで、かろうじて学生の顔だけは映る、しかし、下半身で何をしているか、わかったものじゃない。

これまた、遊びである。教員は、そんなこと先刻承知だから、授業を、普段にも増して、適当に茶を濁す。90分授業でも、40分過ぎれば、本日はこれまで、となる。
どうせ、お互いお約束のグルである。

 

思いだしたが、散歩やジョギング、サイクリングをしている人たちは、なぜマスクをするのだろう。息苦しくないのか。新鮮な空気を吸いたくないのだろうか。

あれは、新しいファッションのつもりなのかもしれない。

きっとそうだろう。