ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

女子学生の化粧と整形顔。東大生の肩書。性と生の商売。

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十代の女子の過剰な化粧を苦々しく感じている。
一体全体、何様になりたいのだろう。顔中塗りたくり、描き加え、作り笑いを浮かべても、元が元である。無理が出すぎで、痛々しい。

隣国では、美容整形という名目で、顔を作り替えるのが流行って、流行りすぎて、今では「挨拶の範囲」だそうである。日本でも、外見が売り物の芸人は、以前から、顔面整形に熱心であったが、ついには、普通に生活する人々にも、整形顔が多く混入してきた。

過日、山の手線の電車の中で、妙な美人を見たのである。それは不思議な光景で、整理されているが、不自然である。顔面の部品が、ことごとくバランスを失している。化粧の下から、切り刻んだり、各種溶液注入の跡が、透けて見えるのである。哀れというも愚かなるべし。

しかし、少しでも綺麗に見せたい、現実よりも、「増し」に見せたいというのは、人間の本能で、何故なら、これは性に通じるからである。性は生の源で、自然は生物の本能に、性の快感を植え付けた。
だからこそ、化粧品屋と薬屋は廃れない。化粧品と医薬品は、人の永遠の欲望の友である。資生堂コーセー武田大塚大正等々「性と生」の商売人は、今までも今もこれからも、濡れ手に粟が続くだろう。

十代から、女子が、化粧をする習慣を大人は非難しない。推奨する。金になるからである。
外見を飾れば、内面もそれなりだと想像したいのが、人間で、その理由はすでに述べた。
しかしながら、学生生徒の化粧は、行き過ぎ、やり過ぎである。時間と金との無駄で、朝塗って夜剥がしての毎日では、元が綺麗でもない肌の質がますます劣化する。美肌ならば破壊される。
劣化するから、ますますのめり込む。あらぬ望みをもって、整形に手を出す。これまた、外壁が膨れたりへこんだり、内部の肉や腺が痛むので、工事のやり直し、繰り返しである。化け物への近道である。
ゾンビの集団の実例を、芸人に見ることができる。テレビタレントに、マスコミの口パク人たちに見ることができる。
それは今や、学生や主婦に浸食した。恐るべし。

無駄に外見を飾る習癖は、化粧や整形だけではない、学歴である。
低俗クイズ番組で素人学生を出すとき、東大生を出す。芸人並みの扱いである。
どんな芸があるのだろうと思えば、何もない。東大という肩書だけが、売り物で、そんなモノでも、通用するだろうという、卑しい了見である。
宿題をして暗記をする癖をつければ、大概の入試は受かる。成績が学級の上位であれば、東大に受かりやすい。
教員から見れば、東大合格は、受験勉強を過剰または効率よくやった子供の結果に過ぎない。そう思いたくないのは、本人とその親だけである。

あれもこれも、欲である。
荷風は、現代人は、だれもかれもが、自分は他人よりも優れている、そう他人に思わせ、自分でもそう信じたい、それが彼らの一生である、それ以外には何もない、というほどのことを書いたが、まさに至言である。

それでも、化粧はぱっと見、綺麗な印象を周囲に与えるなら、良としよう。しかし、中身のない学歴という化粧は、一体何の役に立つのだろうか。あれは立たないからこそ、無理に持て囃すしかないのだろう。