ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員の花見。春休みはない。夏休みは、研修ごっこと会議が満載。

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3月終わりから4月のはじめまで、学校は休みである。子供は、家で、または遊び場でごろごろする。
教員は何をするのだろう。ゆっくりと休めるのだろうか。
自堕落な大学教員は別として、教員にとって3月4月も忙しい。体調を崩す教員が多いけれども、休んでいる暇はない。

だから、教員の「長い休み」があるのならば、夏休みしかないのである。

しかし、教員の夏休みは、正確には、「ない」。
学校が、夏期休業中なのであって、教員には、正規の勤務時間であることには、変わりはない。
だから、教員には、夏休みは、ないのである。

だが、研究または研修の時期ではある。
その期間は、本来は大学や各種研究機関あるいはフィールドでするのが建前というか本筋なのだが、簡単には認めなくなった。
すべて勤務先で行え、ということになった。仕方がないので、教員はせっせと児童生徒のいない学校へやってくる。

一流の執刀医がいたとしようか。彼または彼女が難しい手術を終えて、海外の保養地で休暇をとることを、世間は許すだろうか。
許すだろう。

教員が夏休みに、各種機関で研修をしたら、世間は許すだろうか。
許すだろう。

それが、風邪向きが変わった。

教員を馬鹿にしているのである。
親は、自分が選んで金を払って行かせている学習塾の講師は、有難く感じる。しかし、我が子の通う学校の教員は、自分が選んだわけではない。

なお、悪いことに、世間は、教員へ嫉妬する。薄給の教員なんかに嫉妬するのは怪訝であるが、するのである。
なぜなら、みなさん、「学校ごっこ」が大好きで、できれば自分も「先生」と呼ばれたい。子供に命令したい。そんな方々のパーティがPTAである。ボランティアである。YouTubeで今日は何々を解説します、とやる人々である。


教員は特殊な仕事である。毎日、気難しい「生もの」を扱って、気の休まるときがない。
子どもの将来への影響を考えれば、親は教員を正視する事はできないのではないか。ひたすら、ひれ伏すしかない(または、殴り倒すしかない)。
だから、教員を世間の他の職業人と同列に扱ってはいけないのである。

すべての職業は、世間が、どのように見るか、どのように扱うかで、価値が決まる。
例えば、単細胞で優柔不断で私利私欲の塊のような男でも、総理大臣職にあれば、やはり一国の総理大臣として認めざるを得ない。
利己主義の冷酷な拝金主義者であっても、大統領の立場にあれば、国民にとっては偶像であり、「尊敬」すべき大統領なのである。

大学の教員に対して、世間は甘い。それというのも、世間は彼らを、何となく「認めている」からである。

大学教員よりも小中学校の教員の方が、何十倍も偉いと思うが、世間の大部分はそうは思わないし、思いたくない。

職種の価値を等閑にしたら、その内容も評価に見合った程度のものになる。
寄って集って、教員に対して失礼な態度に出れば、教員の価値を貶めることになり、結局は、子どもの教育にマイナスとなる。
それが分からないのだろうか。
わかりたくないのだろう。