ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

英語バカの量産。外国語礼賛は、いまどきの文明開化か、核弾頭つき蒸気船が怖いのか。

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文科省のやることは常に間違う。
ゆとり教育で大失敗をし、今度は、英語教育万歳で、大失敗をした。坂道を転がり落ちる先は、闇である。
英語業者だけは、笑いが止まらない。

歴史伝統を軽んずるとこうなる。
口先ばかりの「改定のポイント」なるパンフレットを出して、裁断ばらばらの辻褄を合わせようとする。
やたら体言止めが多く、気色が悪い。汚らしい文章で、見てはいられない。
各学校は、「カリキュラム・マネジメントの確立」を、するんだそうだ。簡潔に日本語で書け、日本語で。

『各学校においては,児童や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと,教育課程の実施状況を評価してその改善を図っていくこと,教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていくことなどを通して,教育課程に基づき組織的かつ計画的に各学校の教育活動の質の向上を図っていくこと(以下「カリキュラム・マネジメント」という。)に努めるものとする』(平成29年3月公示 小学校学習指導要領 1章第1の4)
などと、だらだら書いている。

便利だから、和製英語でいいじゃないか、ということだろう。
言葉が多くなれば、内容は薄くなる。あってもなくても、同じになる。みんなハッピーである。

日本のように、国家の歴史が長く、洗練された言語があり、人種がほぼ単一で、人心穏健和気藹々という風の国柄では、日本語で考えて、日本語を話す。すべてが日本語で万事幸福なのである。日本語だけで生活全般、外国諸事情、学習万端、なんら不便がない。そのこと誰よりも知っているのが、私たち日本国民ひとり一人である。日本人にとって、英語に限らず、外国語なんて、全然、必要ないのである。
必要があるのは、商売人または外国語利用で職を得ている人たちで、それはそれ、勝手に何語でも話すがよかろう。
英語学習が失敗続きなのは、英語が日本で暮らすには、何の役にも立たないこと、なんらの恩恵がないことの証左である。

なのに、焦った文科省は、するに事欠いて、教科としての英語を、ますます早期に始めさせようとする。

無駄どころか、害のみ多くて益は無い。英語関連の業者を儲けさせるだけで、または、能無し英語教員をのさばらせるだけである。子供やその保護者こそ、いい迷惑である。

一体全体、何を今更、英語を学ばせようなんて、福沢諭吉の時代じゃあるまいに、文明開化のベルがなっているのか。核弾頭つきの蒸気船が怖いのか。笑うしかない。

一部の目的を持った連中はともかく、学校教育期の日本人学習者にとって、英語学習はこの際、全面的に中止してよろしいのではないか。
他にも学ぶべきことがいくらでもあろうに。
アメリカ人の幼児が話すようなことを、十代二十代の日本人が、あくせく勉強するなんて、どうかしている。その挙句、なんにもならないことは、みなさん、すでによくご存じだろう。
すべからく、英語学習、外国語学習は、希望者のみの選択科目とすればいいのである。あんなもの、少なくとも義務教育からは、さっさと追い出したら如何か。