ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

税も物価も高くなるのに、給料が低い。スマホピコピコな女子高生に読書を教える。

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物価はどんどん上がっているのに、給料が上がらないどころか、下がっている。
大の大人を捕まえて、時給950円だの980円だのは、人を馬鹿にしているとしか言いようがない。
年貢としての税金は、年々増えているから、生活はますます厳しくなる。まさに、寒気である。心底、お寒い。
過日、某大企業のフレッシュマンの初任給を知って、その安さに、知人は驚いたのである。

企業は、バブルの失敗に懲りて、金を出し渋る。内部留保とかで、社内にため込んで、社員に渡すべき金を渡さない。
何十年か前の好景気に、気前よく万札をばらまいたのは、当然ことで、それだけ会社は儲かったのである。今、会社は儲かっているにもかかわらず、十分な給与を出さない。社の基礎体力をつけるためだとか、やがて必ず来る不況を乗り切る準備だとかいうが、なーに、自分さえよければいいのである。安く雇って、とことん使役して、商売敵よりも一歩先を行くことが、社是である。
それが悪い、とは言わない。どうせこの世は競争である。
競争には、安くて大量の兵隊が必要である。日本人の働き手、つまり私たちである。
日本人は文句を言わない。黙々と耐え忍ぶ。
苦は楽の種、だそうだ。現世は苦しくとも、極楽浄土が待っている。貧しくとも朗らかに、いつも微笑みを、云々。

情報操作が政府の役目である。純順で、素朴で、働き者で、お人好しな日本国民の性情を、とことん利用する。
皆さんご存知の「3S」は、セックスとスポーツとスクリーンである。自分で考えるよりも他人の意見をオウム返しに言いうだけのスマホピコピコ人間の量産である。

街を行き交う高校生や大学生や20代の人々、いや、30代も40代もそれ以上の年齢の人々も、片手に持ったスマホを覗き込んで、俯きながら歩いている。
親指で画面をなぞるのに必死である。よくもまあ、他人にぶつかったり、転んだりしないものである。
ロボットが蠢いているように見えなくもない。画面を見てなぞるだけの「目」が、歩いているようにも見える。

以上が、知人の話である。


さて、先日、近所の親子が出かけるのを見かけた。女子高校生らしき子は、スマホから目を離さない。親が何を話しかけても、うん、そう、と、上の空である。
ネットで重要な情報のやり取りをしてるのであろうか。どうせ、ゲームかラインの類だろう。または、ダジャレの動画を見ているのか。それとも、同級生の悪口の確認だろうか。

学校は、児童生徒のスマホを、今さら、禁止にできない。
十年以上も前に、某大附属小は、児童全員に携帯電話を義務付けた。親の希望である。親が通学中の我が子の居場所を、GPSで把握するためである。その時は、教員も親も、なんと便利なことよと楽観したが、子供がスマホ漬けになるとは、予想しなかった。

対抗策がないではない。

月並みだが、読書である。
学校では、日本語の指導、特に、読む技術をしっかりと教えるべきだ。
読書好きな子にするのである。ゴミを読むのではない。先人の遺産たる名著を辛抱強く読んで、考え続けるような子供を育てるのが、学校の役目である。
そのための具体的な授業方法は、多くあるが、どれも難しいものではない。
教員が、その気になれば、誰にでもできる。
そのいくつかは、すでに書いた。
また書く。