ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

他人から先生と呼ばれる仕事がいいのか。独身教員の結婚。

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これは女性の仕事、あれは男性の仕事というように、職業を区別すると、ジェンダー論者から叱られそうだが、女性の仕事の中で、教員職は、男性以上に満足感が大きいようである。

独身を長く続けると、日毎に幸せ感が薄くなる。逆に、既婚者は年齢とともに、幸福感が増す、と聞いたことがある。
結婚は、「幸福な人生」にとって、大問題であるかもしれない。
近年、独身者がますます増えている。なかなか結婚しない。男の稼ぎが少ないから、結婚したくても、できないのだ、と説明する人もいるが、本当だろうか。


教員や役所人間にも、当然、独身者がいる。民間企業と比べれば、女性の率が高い。
その理由として、男女同一賃金で、雇用形態が安定していることがある。
仕事が楽なこともあるだろう。女性一人の収入で、自分と親の面倒くらいは可能であることも、独身を続けることができるポイントである。

女性教員は、特に独身者が多い。給与の面だけではなく、普段、先生と呼ばれることで、自己満足感に浸れて、気持ちの安定が保たれるからである。
子供相手の仕事で、若いエネルギーを充填できる。子供から、「若さ」を、吸い取ればいい。子供の親からは、敬語で対応してもらえる。「先生、いつもお世話になり、ありがとうございます」と笑顔で感謝される。
人は他人から感謝されたい存在である。教員は、子供やその保護者から、感謝されているはずである。そうありたいし、そうあるべきである。少なくとも、教員自身はそう考えていた方が、精神衛生上、いいだろう。

そんなことはない、悪ガキ相手にくたくたで、親は、怪物のようなクレイマーばかりだ、という話は、実は極端であって、おおむね、教員は、満足感と笑顔とで、毎日を送ることができている。
そうでない人は、そもそも教職には向かない。間違って教員になった人も、たまにはいるが、生活のためと我慢して続けている。辞めたり、転職する人は、ごく稀である。


さて、結婚である。ここでは教員の結婚である。
教員は職場結婚が多い。夫婦ともが教員である。次は、配偶者が役所等の公務員の場合。または看護師や保健婦である。その次に、ようやく会社員である。
夫婦どちらか一人の収入で、家庭が賄えないわけではないが、共稼ぎがほとんどである。それが可能な職業なのだろう。理由は、お察しのとおりである。

女性は、もちろん男性もそうであるが、独身が続くと、なんとなく、覇気がなくなってくる。こんなことを言うと、「独身をエンジョイしている人」から、抗議されそうだが、そう思うなら、周りの人に聞くといい。二十代はともかく、三十代後半から四十代五十代になると、元気がなくなる。あるいは、ように見える。

独身は辛いものである。自分で辛いと感じたら、何が何でもすぐに結婚するべきである。手段を選んではいけない。無理矢理は駄目だが、結婚は、当人の覚悟一つで、何とかなるのでないか。方法は、親に聞いてみたらいい。


結婚に前向きらしい30代から50代の独身教員同士を、出会いというほどでもないが、自宅で、何度か会食の場をつくったことがある。
ほとんど、まとまらない。
男女とも、相手への要求が高すぎるのである。
以前にも話したが、彼らの自宅には、鏡がないらしいのである。
男性は教え子の美人らが頭にある。女性は教え子の飛び切りのイケメン君らが目に浮かんでいる。どうもこれでは、うまくいくものも、いかないのである。
それに第一、お互いに、これまで自活してきた。言い換えれば、余裕がある。焦らない。焦る必要がない。

どちらといえば、女性から断ることが多い。男性は未練がある。女性は、まだ自分はイケる、と考えている。
これは、学校で、若い子たちから、先生と呼ばれているからである。
学校では、先生は強い。中心人物である。授業をなさっているのである。子供からすれば、教えてくださっているのである。本音はともかく、建て前はそうである。
だから、女先生は、そろそろ手の打ちどころなのに、それが見えない。うかうかと、齢を経て、後悔しても、後の祭りである。

男性では、女子高の先生に、特に独身が多い。毎日が、AKB48乃木坂46の舞台裏である。嘘だと思う人は、女子高に勤めた経験がないからで、実際は、50代後半の男性教員でも、モテモテでごめんなさい状態になる。

というわけで、年配の独身先生の結婚は、若い人同士と違った意味で、なかなかに難しいのである。独身で定年退職しても、「教育一筋でしたから」という、とっておきの言い訳が通用するのである。

教員の離婚あれこれは、またのお話。