ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

「読み書き計算」が学力の中身である。失敗ばかりする学習指導要領。

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

学校は、学力をつけるところであると、誰でもが思う。
ところが、学力の中身が、今ひとつはっきりしない。

学力とは何か。その人に身についた学習結果のことである。
では、義務教育期間での、学習とは何か。段階的に基礎的知識を学ぶことである。すると、学力は「段階的に基礎的知識を学んだことにより、その人に身についた学習結果のこと」である。

現在の指導要領が想定する学力は、「自分で課題を発見し解決する力」(文部科学省教育課程企画室)である。これはかなり奇妙な定義である。問題解決能力を前面に出すのならば、そのための基礎の力は、いったい、いつ習得するのであろうか。

学校では、教員が直接、子供を教えている。子供の実態は、教員が一番つかんでいる。現状に即した授業ができるのは、現場の教員しかいない。
子供の現状を的確に把握して、できる要因やできないの要因をはっきりさせ、対応した授業をする。ごく当然のことが、教員に期待されているわけである。

「基礎基本、関心・意欲、ゆとり、生きる力」などの、一連のキャッチフレーズは、マスコミ受けのする、あさはかな流行用語に過ぎない。学校は学力をつける場所、という当然のことを知れ。それ以上でも以下でもない。

近年の学校現場では、「読み・書き・計算」が疎かにされているが、これこそが、大昔から学習の基礎基本である。


学力についての、一般的見方の例。

「これからの学力は、「基礎学力」「基礎・基本」「生きる力」の3つに分けて考えることができます。
A:基礎学力
読み、書き、計算等各教科における独自の基礎的な知識・技能
B:基礎・基本
学習指導要領の各教科等の目標、内容として定められたもので、
次の4項目。
関心・意欲・態度  思考・判断  表現・技能  知識・理解C:「生きる力」
これは学校だけで育成されるものではなく、家庭や地域社会における様々な生活や体験を通して深められ、根付くものですが、大きく次の3つに分けることができます。
知育 徳育 体育
これらすべて含めたものが学力と言えます。」


以上は、「関心・意欲・態度」が、学力の重要な要素であると定義しているために、「読み・書き・計算」の訓練が中心なのか、「関心・意欲・態度」の経験や体験が中心となるのか、混乱している。

「読み・書き・計算」と「関心・意欲・態度」とは、分離できないものである。しかし端的な学力の定義として、どちらの方がより根本的な意義があるか、その答えは明らかだろう。

義務教育期は「読み・書き・計算」を第一とすべきである。
「読み・書き・計算」ができることによって「関心・意欲・態度」が生まれるのであっ て、その逆はあり得ない。
簡単な計算ができないのに、より高度な内容を求めるだろうか。
漢字を読めなくて、小説や新聞雑誌を読もうという気になるのか。自分から進んで調べようとするだろうか。
歴史や地理を知らなくて、社会事象や国際関係について、調べてまとめようとするだろうか。
「読み書き計算」の訓練と習熟のないところに、どうして「学ぶ意欲」が育つだろう。

学校教育は、読み・書き・計算の厳格な訓練の場である。そうすることによって、旺盛な知識欲が、出てくるとしたら、出てくるだろう。「関心・意欲・態度」を目指す授業は、本末転倒であり、およそ実効的ではない。

結論はこうなる。
学校教育、特に義務教育期は、本来の意味の「学力」を高めることに専念すべきであり、それは「読み書き計算」を徹底することによってのみ可能である。
「関心意欲態度」等の流行語が意味することは、「読み書き計算」を高めていくことによって、自然に身につくことである。
曖昧で我儘な気分を、最初に目指してしまうなら、すべてがまやかしの毎日となるだろう。