ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員への暴力は許可。抵抗した教員は、体罰行為とされてしまう。

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教員が、子供へ厳しい指導をする。それは、「体罰」とみなされる。教室内の学習規律を守らない児童生徒学生に対して、教員は平身低頭で、ご機嫌を取りつつ、お願いするしかない。

授業中、子供が教員の背中を蹴ろうと殴ろうとナイフで刺そうと、なすがままにされるしかない。
抵抗すると、それは教員による子供への体罰とみなされてしまう。

教員の抵抗により、子供の心が傷ついた、不登校になったらどうする云々。親子で、教員や学校や教育委員会に抗議する。教員には勝ち目はない。だから、無抵抗で、殴られたり、蹴られたり、刺されるしかないのである。

緊急避難だの、正当防衛だのと、理屈をつけて、教員にも、有利な場合があると思いたいだろうが、残念でした。
過剰防衛だ、他に方法があるはずだ、そもそも子供から信頼されていないのではないか、ラポールを取るべく普段から努力していたのか等々、どうせ、マスコミ一同大喜びで、教員を攻撃するに決まっている。


子供の暴力には、教員は黙って耐えるしかない。抵抗したら、すべて終わりである。誰もかばってはくれない。

なぜなら、こういった、児童生徒学生による教員への暴行沙汰は、日常茶飯事である。抵抗する教員がいたら、かえって、他の教員から失笑される。みな、子供の横暴傲慢暴力に我慢をして、仕事しているのである。堪え難きを耐え忍び難きをしのんで、授業を続けているのである。子供へ歯向かうなんて、教員ごときが何様の気だろうと、同僚マスコミ教育行政一丸となって、とことん、当該教員を追い詰めるに決まっている。

それを誰よりも知っているのは現場の教員たちである。
これまでも今日もこれからも、教員は、生徒様の鉄拳をくらい、足蹴にされ、罵倒されつつ、黙って生きていくしかないのである。

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こんな話を聞いた。
小学校の体育の授業中、ひとりのわんぱく小僧が、どうしても教員の指示に従わない。教員が、跳び箱の危険性を話しているのに、他の子供に砂を投げたり、後ろを向いたりする。数度の注意にも、止めようとしない。当該教員は、その子供のそばに行って、突き飛ばした。
ようやく子供は静かになったが、さあ、その夜、親が激昂して、校長、教育委員会へ抗議する。
結局、当該教員は、職を辞することになる。校長はむしろそれを喜んだ。

このケースでは、校長が笑って済ませて、親子を諭せば、いいだけのことである。
しかし、「体罰禁止」を破ったのは教員だ、教員が悪い。悪い教員の学校の校長にも責任があるだろう、となると、はなはだ具合が悪い。だから、教員が職を辞する意思を漏らしたとたん、「そう思うなら、そうしてくれ」、と校長には、渡りに船である。誰でも自分が可愛いものだ。

体罰とは、かくも恐ろしいタブーである。
子供は、それを知っているから、一方的に、教員へ「体罰」を加えることができる。笑って殴ることができるのである。