ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

日本語を捨ててグローバル。生涯教育、大きなお世話である

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子供をおだて上げるあまりに、教員の立場は、相対的に下落した。
立場がないというが、本当にないのである。
ちゃんと場所を確保するには、教員の仕事内容を確認する必要がある。

教員は、要するに児童生徒学生に学力をつけさせればいいのである。
それ以外は、必要ない。

そのためには、教員が持続的に学ばなければならないが、これがなかなか難しい状況なのだ。
たとえば、小学校教員の場合、教えることに自信がない。専門職としてのプライドが感じられない。
そりゃあそうだろう。所詮、子供相手である。しかも、立派に躾けられた相手である(親を見てくれ)。
授業レベルも、下が見えないくらいに、落ちている。落とさなければならないのだそうである。文科省のお達しである。
教員は、自分の知力や授業力や教養が日々向上している、という実感を持てない。
「お子様」とその後ろに控える「親」とに、遠慮しつつ、お仕え申し上げることが、主な仕事内容になりつつある。

ついでに言えば、初等中等教育で一番大切な科目は国語なのに、文科省は、日本語を破壊しようと躍起になっている。

あの、誰もが驚くほどの、お粗末至極な国語教科書。
耳を覆いたくなるような、発表会と称する、やらせのパフォーマンス。おまけに総合学習とやらで、子供の発表会もどきをさせたがる。

見てはおれない、聞いてはおれない。惨憺たる、とはこういうときに言う。

源氏、平家物語、徒然、方丈、舞姫、李陵等々、日本語の名文をこそ、暗記させ暗唱させるべきなのに、たまにそれを学ばせようとする奇特な教員がいたら、保護者も行政もよってたかって邪魔をする。
彼らには、お粗末な教科書の駄文の方が、よほど大切なのである。

しかも、近年、国語を押しのけて、外国の言語を広めようとしている。どうせ大勢のアメリカ人フリーターを、日本の税金で養ってやるために、日本政府や財界お得意の姑息な手段の一つだろう。


学校で使う教科書は、日本人のモノの考え方に大きな影響があると言う。
教科書に、何がどのように書かれているかによって決まると言う。日本の伝統文化や外国への対し方に差が出る。日本人としての誇りを培うのか、逆に日本国を貶める考え方を是とするのか。

本当にそうか。

実のところは、教科書なんてどうだっていい。もちろん、表向き、教員は、教科書を使って授業する。
教科書の内容を尊重するふりはできる。

しかし、実際には、教科書よりも、教員と子供との人間関係のほうが、よほど大きな影響力がある。

たとえば、教員が、日本史の教科書の表現に疑義を述べるとする。児童生徒学生と人間的に深くつながっている教員ほど、教科書よりも、教員の言説を信じる。

だから、教員が教育の中心なのである。教員の教養や体験をもとにした指導は、ほとんど、教科書の記述を無効にするくらいの力がある。

教員にも子供にも親にも、日本の教科書はおかしいという意識を持つ人が多い。
特に、社会科や国語科の教科書は、日本の伝統文化を否定し、歴史を歪曲する記述が散見される。
その教科書を使って、大所高所から判断し、授業を構成するのは、教員の役目である。

こう言うと、いかにも、教員の恣意的な指導が行われて、危険なようだが、そうではない。
一方的なイデオロギーに凝り固まった教員に、子供はついていかない。

子供は大人が考えるより、ずっと大人である。意外にも、真偽を見抜く力がある。
とはいっても、子供は、子供である。教員に簡単にだまされてしまうようなこともあるだろう。

だから、教育の眼目は、子供に自分で考え判断する力をつけることである。批判的な読み方や、思考を鍛えるための学習力を育てることが、教員の役目である。
教員の言説を無批判に信じ込ませることではない。


一時期、「生涯教育」なんて言葉が流行ったが、喉もと過ぎればなんとやらで、今は話題にもならない。
しかし、頭が完全にボケてしまうまでは、なにかしら学び続けることは、良いことに違いない。
とはいえ、口に糊するために働く毎日の中で、学び続けることは、なかなかに大変である。
家に帰って、ビール片手に、寝転がって、プロ野球を見て手をたたくというのが、お気楽で健康的ではなかろうか。

不思議なことに、人は、安定した暇な境遇になると、俄然、生涯教育信奉者になってしまう人が多い。習い事やボランティア等の社会参加を熱心にする人もいる。それもまた、良いことに違いない。

話がまとまらないが、何が言いたいかと言えば、今後のことは何が起こるか分からない。とんでもない社会変化に直面するかもしれない。
教育、年金、介護、健康保険、貯金、流通経路、情報、憲法改正、戦争。
結果は、どうなるだろうか。おそらく良い方向に向かうと考えたいが、どうやら日本の社会全体は、ゆっくりと、混沌に向かっているようである。これもサイクルである。波である。円環である。

よしんば日本が良くても、地球全体が駄目ならアウトである。その地球は、アウトの方向に向かっていると予想する人も多い。

教育は、自学自習に極まる、という。しかし「生涯学習」などと呑気なことをつぶやけるのも、あと数年ではなかろうか、ということが言いたいのである。