ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

担任の実力を測る方法はあるのか。授業内容は難しいくらいがいい。算数・数学ノート。

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

担任の実力を測る簡便な方法はあるのだろうか。

それは、子どもの学校で使っている学習ノートである。
いろいろ見る必要もない。算数のノートを見れば、たちどころにその教員の実力が分かる。
我が子は、学校でしっかりと学力をつけているのかどうかは、算数のノートを見れば明らかだ。

ノートの役目は、今さら書くのも何だが、「知識を確実なものにする」ことにある。ただ聞いたり、読んだりしても、知識を増やすことはできできるが、自分の手を動かして、ノートにまとめることは、知識をもっと確実なものにし、頭の中に定着させる。学習したことを忘れにくくし、よりいっそう理解を深めるわけだ。

ついでに言っておくと、小学生が学校で使うノートは大判で、AかBの罫線のもの(一般に「大学ノート」と呼ばれているもの)がいい。
小学校中学年から大学ノートを使わせるのだ。
・同じ形式のノートをいつも使うようにしたほうが、整理しやすく、まとめ方が身につきやすい。
・キャラクターグッズではなく、質素で地味目なものが学習に集中できる(値段も安いし、一挙両得)。動物や漫画の表紙などもってのほかである。

多くの学校では、学年はじめに、担任たちが勝手にノートを決めて親の承諾もなしに買わせているが(学校に搬入している業者の受け売り)、けしからん話である。

またついでに、言うなら、
・鉛筆の濃さは「B」がいい(2Bでもよい)。すべり具合がよく、色もはっきりとしていて、ファックスにとるときもきれいに写る。鉛筆の他は、黒と赤のボールペンが必要だ。ピンクやオレンジやブルーのものはごたごたした感じになる。
・したじきは、無地で色のけばけばしくないものがよい。
・黒板や、教科書、参考書の丸写しではなく、いつも自分で工夫して書くようにさせる。これが、考える練習となる。


ところで、肝心の子どもの算数のノートを開いたときに、あなたはどこに注目すべきか。
以下の点に、注意したらいい。優れた教員なら、次のようなことは、すでに指導しているはずである。

○ 計算では、できるかぎり消しゴムを使わないようする。まちがった計算方法や、方法は正しかったが計算結果が誤りであった場合など、消しゴムで消して、 正しく書き直そうとしてしまう。しかし、これはよくない。間違いは間違いのままで、ノートに残すことが大切だ。その横に、赤ペンで正しく書いておく(直し たことがよくわかるのならば、鉛筆でもよい。赤ペンに持ちかえる時間の節約になる)こうすると、二つの便利なことがある。一つには、自分の間違いが、正し いやり方とともに一目で確認でき、理解が深まる。もう一つには、消しゴムで消す時間が助かり、問題に集中できる。テストのときはともかくとして、ノートで は、消しゴムは使わないほうがよい。
かけ算やわり算では、横に長い線を引くときがあるけれども、この線がグニャついていてぴしっと決まっていないのは見苦しいものである。といって、いつもいつも定規を使って線を引いていたら、時間がかかりすぎる。では、どうしたらいいか。
結論から言えば、最初のうちは、常に定規を使って引くべきだ。
慣れればだんだん速くなる。線がきちっと引かれているのは気持ちのよいものだ。しかし、これも見苦しくない程度にまっすぐ引けるようになったならば、定規を使う必要はない。フリーハンドで、直線が引けるのがベストである。

○ 計算式をノートに整理した形で書く習慣をつけよう。
たとえば分数の割り算をノートにする場合、仮分数の計算では、帯分数になおして割る数を逆数にしてかけるのが普通だ。真分数と帯分数が混ざっていると、真分数だけの計算の場合と違って、計算に必要な式の長さが違うことになる。

ノートの横に3問題、縦に4列書くとすると、
3×4=12で、
12問題がノート1ページにおさまる分量だ。この場合、もっとも長い計算問題にスペースを合わせる。1列に2問しか書けなければ、そのページはすべて一列毎に2問ずつ書く。つまりどのページを開いても、碁盤の目のように計算がきちんと整頓されて書かれているようにさせる。

○ ところで、ノートの厚さだが、どのくらいのものが使いやすいか。ページ数で120ページ、枚数にして60枚程度がよい。これより薄いものは、あっとい う間に使いおわって、一月で2冊も3冊も使うことになりかねない。以前のところを調べたくても別のノートに書いてあるということが、しょっちゅうだった ら、不便である。逆にこれより厚いものだと、重たくかさばり、持ち運びに不便だ。長い期間、同じ1冊のノートだと、学習の進み具合が今一つ盛り上がらない 感じがするし、表紙なども汚れたり破れたりして、ちょっと情けない感じになる。

○ ノートの両はしはあけておくのが原則だ。行間もたっぷりとる。つめて書くと、一見熱心にやってるような感じがするが、こせこせしていて考えが整理され ていないことが多い。考えをつけ加えたり、まちがった計算を直したりするのにも、十分なスペースが必要だ。何も書かれていない余白が、書いている中身を強調する、という感じで書くほうがよいのだ。



ついでに言えば、算数・数学は難しいほうがいいのである。簡単にわかるようでは駄目で、教え方が下手なことと、教える内容を低くすることとは別問題である。
教育技術が下手だから、程度を下げて子供が分かったところで自慢にならない。難しいことを、理解しやすく教えるのがプロである。

算数は具体物との対応が大切だ、とかで、分数の3分の1を教えるとき、大きなケーキを買ってきて、包丁で三つに分けたりする。
それがよい授業なのだそうだ。
とんでもないことである。
算数は抽象概念を操作できるようにする。具体物は不要どころか、害悪である。
チョークと黒板があれば十分で、それで理解できないのなら、教え方がまずいか、教わる方の能力不足かの、どちらかだろう。子供の能力不足はめったにないことだから、ほとんどの場合、教員の側に責任がある。

こんなことを言うと、すぐに反論されそうだが、反論するがいい。

抽象的なことを、どのように理解させるか。具体物を提示すればいいのではない。むしろ、逆である。
学習者に、抽象を抽象として理解できるようにさせる。その訓練が授業である。勘違いしては困る。

もう一つ言うと、たとえば、数の導入で「百玉そろばん」のようなものをつかって、児童の頭をことさらに固定化するようでは、ダメである。あれはすべて無駄とは言わないが、頭の訓練にはならない。
難しいことを難しいままに、理解させる。子どもは、難しいことを抵抗を感じながら、学ぶ。これを、実際に児童生徒に体験させなければならないのである。
学習では、「わかりやすく」「楽しく」「親切心」は、まったく余計なことである。
むしろ、わかりにくく、退屈で、抵抗感のあるように、授業を構成するくらいでちょうどいい。