ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

テレビは悪い見本、巨悪の根源である。差別用語に神経質、あとは出鱈目。

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悪い見本、という言葉がある。
子供が身近な大人を見て、とくに親を見て育つのは当然で、親のわりには、いい子が育ったなあ、なんて感心することは滅多にない。
だいたいは、親以下である。
だから、親自らが、今すぐ立派になれ、なんて野暮は言わない。
子育ては、子供への愛情さえあれば、何とかなるものである。


悪い見本といったのは、テレビのことで、私はテレビを唾棄すべきものと考えるが、世間はテレビを愛している。愚かな片思いである。

テレビは、制作者がいる。彼らには道徳はない。差別用語集とやらのパンフレットがあるだけで、彼らはこれだけを怖がっている。
「人権なんとか」で、ごねられると、後々面倒なことになるからで、差別用語に該当さえしなければ、何を言ったっていいと考えている。

こんなことでは、ろくな番組ができるわけがない。

見る方も、どうせ、受像機の中だけの「やらせ」だ、と馬鹿にしてかかればいいものを、そうはしない。

神の啓示のごとく拝聴する。

ニュースを頭から信用して、ニュース解説者のせりふは、将軍様のお言葉だと感激する。
口先芸人のおしゃべりを、開拓時代の日曜学校で牧師の説教に頭を下げているアメリカ人のごとくに、聞き惚れる。

大げさではない。あなただって、のっけから信用して、テレビを見ているではないのか。

テレビは魔物である。あれは大嘘の塊である。そう思って、丁度いい代物である。


さて、かつてエイズがマスコミ、特にテレビで、大々的に取り上げられたとき。

一部の教員達が興奮して、明日にでも、全国の学校の児童生徒はエイズ患者だらけになる。血を出して保健室に来たらどう対応するのか、エイズの同級生とどんな遊びができるのか、給食は一緒でいいのか、等々が、まじめに論議された。

今度は、新型肺炎がマスコミで話題になると、学校で全員にマスクを着用させようとか、風邪気味の子供の欠席扱いはどうするとか、実に荒唐無稽としか言いようのない意見がまかり通った。
大げさに言って騒げば騒ぐほど、教員は「私は子供を大切にしていますよ」と宣伝できる。職員室の窓から、賛成の大合唱が聞こえる。

こうして、またもや幼稚な議論が延々と続き、その挙げ句、無駄な「対応策」が決定される。
これらの茶番は、責任の所在がいつも曖昧な公教育の体質が影響している。

なんとなく無難なこと、良さそうなことには、正義の味方よろしく、「お議論」するだけで、事実を踏み込んで検討しない。せいぜい新聞の受け売りか、情緒的バラエティ「報道」番組のキャスターの口まねをして、嬉しそうである。

「子供の命を守る」という言葉が、「良心的な」教員の口から出てくる。
これは保護者の受けをねらったパフォーマンスにすぎない。
私たちが住んでいる日本の都市町村は、湾岸戦争当時のイラクではない。安全なものである。

自分は安全地帯に身を置いて、テレビ画面の向こうの危険を語ることほど、愉快なことはない。偽善と甘えとは双子の兄弟だ。親は学校に甘える。その甘えに乗じて、教員も甘やかす。お互い様なのである。

家庭には家庭の領分があり、学校には学校の領分がある。それをはっきりさせて、責任を取る部分にだけ責任を取るのが筋である。
「家庭と学校とが連携する」は、聞こえは良いが、責任の所在を不明にし、判断を鈍らせる。

戦後から、今日まで、何事も曖昧にしていた方が、双方にとって都合がよかった。
教育現場で、子供達に各種の政治的刷り込みをするためには、教員が、児童生徒の家庭に入り込みやすい雰囲気を醸成する必要があった。これは、中国や朝鮮の対日作戦、ソ連共産党の基本的な作戦の一つだった。教員を洗脳すれば、子供を、その親をも、洗脳できる。こんな手管は、すでに共産主義の教科書に特大特筆してある。

だから、教員には、教職員組合を通じて、「家庭に入れ」という指導がなされた。これは社会主義革命お得意の「ヴ・ナロード(人民の中へ)」の焼き直しである。

生来がお人好しで、広い教養もない教員達は、単純にこの作戦にひっかかった。思想洗脳の先兵、あるいは利用されやすい雑兵としての役目とも知らずに、下賤なヒーロイズムに突き動かされて、家庭に入り込もうとした。
それが形を変えつつ、今もしぶとく残っているのが、「家庭との連携」という題目である。

ところが、現在は子どもの家庭も複雑であるし、豊かにもなってきたので、教員が簡単に家庭に入り込めない。また、入り込もうとする教員も少なくなった。
教員組合の衰退の兆しでもあった。教員への世間の尊敬もなくなった。こんなことでは、家庭に入り込めるわけがない。
それはそれで、日本のためには幸いである。


テレビは、そんな教員の、最大の知識の取入れ先である。
しかも、親も子もテレビを見ている。
共通の「楽しい話題」である。

テレビ局が傲慢になるのも、理由があるのである。