ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

大学教員の給与を7割減給せよ。快適な職業と収入の不均衡。

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今時の二十代三十代は、雇用不安だとかで、正社員になれない、よい仕事がない、などという。しかしながら、仕事は探せば周りに転がっている。選り好みは、身勝手な我がままだと、言われるかもしれない。
格好の良い仕事ばかりを夢見てるわけでもなかろうが、所詮、仕事である。楽しくて夢のようなもので、あるわけがない。テレビドラマの見過ぎだろう。
嬉しくて楽しい仕事があるとすれば、タレントやスポーツのプロ選手の類だろうが、彼らは堅気ではない。参考にならない。

今のところ、実力がなくても、とりあえず学部にさえ滑り込めば、一応、一生安泰らしいのは、医者だけである。だから、医学部に入りたい。そのためには学習塾その他で、早めに手を打っておきたい。そのように焦る親を、馬鹿にはできない。
安全で利口な方法かもしれないのだ。

人生は、先に何があるかがわからない。勉強しさえすれば、何もかもがうまくいくわけがない。これは、当然だ。当然のことを訳知りに言ってみても仕方がない。

「医者は、もう、ぼろ儲けできないよ」などというが、なってから言え。
医者の子どもは医者になる。どういう訳か、学校での成績もまあまあで、上の部類に居座っている。

勉強は熱心にした方が良いし、熱心に勉強した人とそうでない人とを比べるとき、後の人生に様々な差が出るのも当然だろう。だから、我々大人は、自分と同じような情けない思いをしなくてもすむように、我が子に向かって、「勉強をせよ」と、口やかましく言うのである。
そして、我が子は、案の定、親に似て勉強をしない。うかうか歳をとって、やはりその子どもに、「勉強せよ、私のようになりたくなかったら」、と愚痴るのである。
それもまた運である。善し、としよう。


さて、世間でふつーに考えると、快適な職業は、なんといっても大学教員である。濡れ手で粟のテレビタレントの類は、今は論じない。

誰からも束縛されず、露骨な勤務評定もなく、一日中暇で(ときどき授業らしきものをするフリ)、何をやってもお咎めはない(刑事犯罪は別)、おまけに世間体もよい。こんなおいしい職業は、他にない。

大学教員が、「素敵な仕事」であることは、日本に限らない。何処の国でも、若者の憧れの職業といえるだろう。
ことに西欧諸国ではその傾向が強く、大学教授と名がつけば、実績や能力に関係なく、一目も二目も置かれる。

米国では、少ない大学教員職を求めて、若い連中が、何年も努力し、その甲斐あって、大学に職を得たときは、もう嬉しくてたまらない。共稼ぎの女房に長い間苦労をかけたことを忘れて、女子学生に手を出す(ことも極めて多い)。

かくも、美味しすぎる大学教員であるが、給与の面では、米国の場合、一部の有力教員以外は、日本人が想像するよりも、よほど少ない。

日本でも、仕事に見合った給料をやれ、と言いたい。
日本の大学教員の給与は高すぎる。あれしきの時間的束縛や仕事内容で、今の給与は法外である。現在の半分でも高すぎる。
なぜなら、仕事の環境が、すでに「高価」で、人様の金をふんだんに使いすぎる。
コスト対効果が全然、見合ってない。実際の給与も、能力以上に支払われている。無駄、というより暴利である。
即刻、最低賃金にせよ。それでもなおかつ、学問(及び気楽な生活)の魅力にひかれて、大学教員になりたいのならば、なるがいい。
そして、発見なり、発明なり、「有益」な書物を書くなりして、
金を人並みに儲けるがいいだろう。


人間は、働きに応じた給料を得るべきだ。
こう言えば、誰もが伏し目がちになるに違いない。
給料分の仕事をしているのは、いったいどこにいるのだろう。

公務員は不思議な商売で、景気によって評価が左右される。特に教員はそうである。
景気のいい時は、教師は貧乏で結核だらけと言われた。
景気が落ち込んでくると、教育公務員はエリートで、なかなか採用試験に受からないと言われた。
しかし、平均をとれば、教員は、税金をたっぷり天引きされた後の、わずかな俸給で細々と暮らしている者どもである。
夫婦そろって教員であるか、どちらかが公務員または看護士等の安定した職についていなければ、家を建てることはできない。一人の儲けで妻子を養うことなど、とてもではないが、成り立たない。
いや、私の場合は成り立っている、と言うのなら、それはそれで、立派ではある。おめでとう。

さて、公務員の中で、その少ない給与で、手取り額以上の仕事をしているのは、おそらく小学校学級担任と警察官ぐらいのものではないだろうか。

学級担任の給与は今の2倍以上にしてもよいのではないか。40人近くの子どもの将来に、恐ろしい影響力を持つのである。3倍でも少ないくらいだ。

教員にもいろいろある。大学教員のそれは、現在の半分でも多すぎる。
あんまりだと思うなら、大学教員に小学校の学級担任をさせてごらんなさい。三日と、もたないだろう。

さて、憎まれ口を叩きたいのではない。
世間とは、不公平の別名なんだな、と慨嘆するのである。
不公平がいけないことだ、と言っているのではない。
不公平なくせに、公平を装うな、と言いたいのである。

小学校教員から市役所勤めに転じた男が、つくづく述懐していた。
「よくあんな仕事ができていたなあ、ほんと学級担任はたいへんだった。役所は楽だよ。もう学校現場に戻る気はない、二度とやりたくない」

世間の勤め人の多く(役所勤め、大学教員、政治屋、諸企業等)は、小学校学級担任から見れば、「遊び」で、給料をもらっている。


だから、学級担任は勉強せよ、と言っているのだ。諸君に足りないのは、大学教員のレトリックだけである。
まず、小学校教員が、無能な大学教員どもを駆逐して、彼らの分不相応な給料を、そっくり頂くことが、世のためになるだろう。