ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (hatena部)

男子高校生の女装、ミスコンと勉強。 平成の子供への期待。

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先日、高校文化祭について、男子校での女装、ミスコンについて書いたのだが、「女装」「男の娘」という単語には、なにかしら、そわそわするものがあるようだ。

高校生活の種々の出来事の中で、文化祭の中の一場面を記憶しているのが、不思議でもあるが、生徒や観客の感情に、直接訴えるものがあったのだろう。ある種の感動のごときものが生じたのか。
教育活動には、プラトンが説いたように、微妙なエロスが存在するらしい。

ミス高高コンテスト 決勝【第61回翠巒祭】


群馬県高崎高校は、元総理の中曽根康弘氏や福田氏の母校である。
自由な雰囲気で、子供たちの自信と自我の主張とが見えて、なかなか好ましい。教員の顔が表に全然見えないことも、よろしい。伝統的な公立男子校の利点が出ている。

ちなみに、多くの男子校では、この種のイベントに、生徒がグループで出場することが多いが、高崎高では、個人がほとんどである。自分一人で出て、自分自身で責任を取る。そうあるべきである。

應援部 校歌披露【第61回翠巒祭】




さて、お話変わって。
先日、高校3年生の自己推薦文を大量に読む機会があった。
どうもいただけない。仮にも、そこそこ名の知れた私立○○高である。中高一環教育の6年もの間、一体何をしていたんだと、驚くよりも、あきれた。無論、生徒にではない。この学校の教員達に、である。

憤慨していたら、某大学図書館の入口の紹介コーナーに、大学生のための文章作法だの、レポートの書き方だの、日本語技法だのの、基礎的な「作文のやりかた」の類の本が、山ほど並べてある。
数冊見てみると、ひどい内容である。句読点や段落の意味、敬語の初歩の解説、稚拙な例文と下手な添削例まで、載せてある。
日本の子供の文章力は(したがって、この類の本の「著者」や出版社編集部のレベルも)、ここまで落ちたのである。


思い返すに、小学生や中学生に、平家物語徒然草方丈記を暗唱させ、その各々の文体を真似させて作文を書かせた実践記録を、読んだことがある。当時と比べて、今では、夢のようである。

教育も文化も、発展させることは難しい。それどころか、現状を維持するだけでも大変に難しい。少しでも油断があると、たちまちに停滞し、落下する。
日本の国語は、急な坂道を転がり落ちている真っ最中である。もう二度と、後戻りできないだろう。
先は、闇の中かもしれない。

日本の闇は、諸外国の望むところである。しかし、日本人も望んでいるのではなかろうか。その証拠が、文科省以下、国語を軽んじて国語を亡きものにしようとする態度及び行為である。
グローバル化は、日本の国家意識の消滅、つまりは無国籍化、地球人である。よく働く奴隷である。
奴隷である日本国民の、ご主人様はいったい誰だろう。
あなたも知っていることだろうから、ここに書くまでもない。

しかし、しかしながらである。
平成の子供たちが、日本の芯を背負って育っていくならば、やはり、太陽は上るのである。
恐々謹言。