ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (hatena部)

お前の仕事をしろ。教員も政府もマスコミも、何者かを配慮し忖度し遠慮する。

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

新卒ほやほやの新米教員は置くとして、30代40代の、仕事に慣れたはずの教員も、やはり、保護者にびくびくして毎日を過ごすようである。
その一例が、学年通信という代物で、よせばいいのに、毎月、きまりきったことを、プリントして配布する。

もう、読んではいられない。
事項の挨拶に続いて「いつもご協力いただいて感謝します」だの、われわれ担任一同も「一所懸命やらせていただきます」だの、卑下を通り越して滑稽である。

遜らないと、安心できないらしい。
校長も総務も、プリントの内容を、事前に見ているくせに、注意するどころか、それでよしとする。むしろ、喜んでいる。

こんなことだから、子供や親になめられるのである。
仮にも、先生、教師である。

右も左もわからない息子・娘に、日本の文化伝統、人類の共通遺産である学問を教える主体者である。
と、大きく出る必要もないが、誰に過剰な遠慮があるのだろうか。自信をもって、教えるべきことを、またはそれ以上のことを、教えてやるがいい。

相手は未熟者の子供である。親を見れば、その程度も知れる。教員は、教育については親よりも、まして子供よりも、はるかに高い見識と技量とを持っている(はずである)。なにせ本業である。もっと、自負をもて。


思うに、日和見なマスコミがやたらアメリカにびくびくして、遠慮するのも、失敬千万な近隣諸国への、日本政府のだらしのない対応も、その根は一緒なのである。自信がない。いつまでたっても新米で、仕事に責任を持てない、持たない、持つ気もない。

教員が、だらしない国民性を育成することに一役買ったのである。

政府内閣官僚学者マスコミの者どもを、もう一度、ちゃんとした学校で、叩き直さなければ駄目である。


話を変える。
教員は、子供に学力をつけること、が本文である。
学力は、既存の知識を理解し、新しい知見を創造する能力のことである。
しかし、小難しい理屈ばかりでは、かえって意味が曖昧になる。
簡単に言えば、試験の「成績が良い」ことが、学力がついた証である。学力は、試験で判断するしかない。
学校は、子供に学力をつける場所である。つまりは、知識を教え込み、多少の応用力をつけてやればいい。
それ以上でも以下でもない。

できもしないくせに、壮大な目的を挙げて、力んでしまうと、肝心な学習内容の習得が疎かになる。というより、迫力がなくなる。

成績が何よりも大切だ、と学校は言いにくい。それをはっきりと掲げることは、憚りがあった。「成績ではない、人間性が一番だ」と綺麗ごとを並べ立てて、大嘘をついた。
学校は、生意気にも、子供の人間性まで判断するのであろうか。
大きなお世話である。いっそ、最初から、「点数至上、成績第一です」と言え。
低レベルの指導要領の内容すらカバーできないでいて、「生きる力をはぐくむ」とか、聞いて呆れる。
さっさと、授業を始めろ。

景気がよい頃は、日本は工業力で他国に一歩も二歩もリードして、余裕があった。
今は違う。世界競争が厳しくなった。日本の得意分野に、強敵がどんどん出てくる。日本は戦って、しかも勝たなくてはならない。
その土台は教育である。
具体的には学校の教育である。もっと具体的には、授業のレベルである。

学校が、競争と無縁なわけがない。
学校で子供に力をつけることができなかったら、アウトである。脱落である。学校、教員、施設、行政、国家、丸ごとアウトなのである。

セーフになるには、全力で走るしかない。少なくとも、教員だけは懸命に児童生徒学生を厳しく指導してやってくれ。それが仕事のはずである。教員がまず、激しく競争しなければならない。


しかしながら、子供は、放っておいても成長する。または、自力で学習する。これも事実である。
対して、自然に伸びるのは、生理的にであって、教育的にではない。だから学校や教育が必要だ、という意見もある。
果たしてそうだろうか。
子供は自分で、自身を教育しながら生きている面もある。
「親はなくとも子は育つ」という。意図的どころか、何も教育しなくても、いつの間にか身も心もそれなりに成長する。
これも逃げ道の一つである。
どのような教育も、時間の流れが、成功も失敗も飲み込んでいく。それに甘えて、教育関係者は大言壮語する。
生きる力だの、主体的だの、個性尊重だの、無意味なキャッチフレーズを並べ立てて、自己満足に陥る。
肝心のことは手抜きして、綺麗ごとを言う。その結果はだれが責任を取るのだろうか。

教育は、大人による意図的な営み、である。
意図的ではあっても、予定通りにいくものかどうか。「営み」を過大に評価すると、教育の間口が際限なく広がって、収拾がつかなくなる。
学校は、学力をつければいいのである。それだけが学校の役目であるし、それ以上のことが、学校ごときにできるわけがない。

何度でも言う。

「生意気言うな。お前の仕事をしろ」