ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

運動会、体育祭は無駄である。地域サービスの演芸会は止めるがいい。

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運動会は無駄である。

運動会というイベントがある。
軍国主義とやらが大嫌いらしいそぶりを見せる「教員組合」も、不思議と運動会だけは賛成であった。
ただの賛成なら、可愛げもあるが、競争のある運動会は駄目で、競争のない運動会なら、いいのだそうである。
奇怪なことを。

運動会は競争に決まっている。ところが、競争嫌いの教員たちによって、日本全国のほとんどの運動会は、単純な見世物になった。
下手な踊りや組体操と称するマス運動で、まるで新興宗教の示威運動か、某国総書記万歳の祭典ごっこの真似事である。いかにも共産系諸国が大好きで、シナ朝鮮夢の国、と歌った教員組合のやりそうなことである。

あれでは、子どもがあまりに不憫である。運動会と聞くと、うんざりして、不毛の9月ということになる。
暑い最中、運動場で子供を並ばせて、教員は、いらいらと怒鳴り散らして、まるでナチスである。
その挙句が、品のない踊りのような「表現運動」と称する猿真似である。これでは、子どもも浮かばれまい。

馬鹿の一つ覚えではあるまいに、どこの学校でも「なんとかソーラン」などと、どうしてこうも、ワンパターンで硬直しているのだろう。

運動会など、大反対である。あんなものは遠慮なく止めてしまえ。


運動会については、もう少し。

長い間、多くの小中学校では、運動会や体育祭で、「負けた子どもの心が傷つく」だとかで、すべての徒競走を禁止し、それでも走らせなければならないときは、横一列に手をつないで走らせた。
そんな異常な学校は、平成29年現在、さすがに少ないだろう。

あれは、ソ連社会主義教育の猿真似だった。「同和教育」を利権に使った連中の影響だった。

みんな平等だとか、心を大切にだとか、手をとりあって仲良く、だとかの空疎なキャッチフレーズは、今でも残っているのだろうか。
どうやら、ほとんどの学校では、ちゃんと残っているらしいのである。

学校で「競争こそが、進歩の元である」と話すと、みんなが目を剥く。
そんなに怒るな。競争に決まっているではないか。
勉強も、運動も、遊びも、結局は競争である。

競争を、教員や親が憎むのは、負けるのが嫌で、あらかじめ煙幕を張るからである。
卑怯である。または、見栄っ張りである。勝つ者への嫉妬である。
素直に、負けるのが嫌だから、競争はしない、と言えばよいものを、正義の見方面して、屁理屈をつける。

世界との競争で、日本が教育で負けることは、国が負けること、衰退することだ。他国に蹂躙される、あるいは滅ばされる可能性が大きくなることである。よく覚えておくがいい。


運動会についてはまだある。

9月は、3学期制の学校では、新学期ということになる(ほとんどの学校は、2学期制になった。その場合は10月が境目である)。

新学期が始まると早々に、学校は常にも増して大忙しである。どうして、ばたばたするかといえば、運動会があるからだ。それを嫌って、5月にする学校が増えた時期もあったが、やがて10月開催に戻ってしまった。

運動会という、変な行事が定着して、もう何年になるのだろうか。いい加減に終わりにしたらどうだろう。
あれは地域の人々への、無料の演芸会である。サービスである。
子供を、暑い日中に運動場に晒して、勉強を放棄させて、こき使って、意味不明の踊りに類似した集団演技をさせて、地域の住民に護摩をする。
指導する方も、ご苦労だが、何より子供が迷惑する。

運動会は百害あって一利ない代物である。
もう止める、と職員会議で決定すればいい。そんな学校は、学校自由選択制になれば、大人気となって、子供や親が殺到するだろう。
嘘だと思うなら、お宅の学校で、まずやってみたらどうだろうか。
日本の公教育が、惰性で甘えてきたこと、周りの評判に怯え、振り回されてきたことが、よくわかるはずである。


中学校では、体育祭の練習が、うまくいかない。あんまりうまくいかないので、最初から教員による指導はあきらめて、同じ中学生を利用することを思いついて、生徒主導だの自主性だのと奇麗事を並べ立てる。教員は、実際の指導からちゃっかり手をひいて、子供に任せるという形をとる学校もある。
要するに放任である。ほったらかしなのだから、ろくなことにはならない。

特にひどいのが、演技種目で、練習に不熱心どころか、はなから、練習しない。
徒競走だけなら、半ば、やけっぱちで走る子供達も、演技となると、「馬鹿馬鹿しくって」やる気にならない。

小学校の運動会で、散々、演技を無理やらされてきたのである。もしも、それが楽しくてやりがいを感じていたのなら、中学生になっても、するはずである。
そうでないのは、小学校の運動会で、演技が楽しくなく、やりがいもなく、不愉快なだけの思い出しかないからである。
それでも小学生である。教員に逆らうこともなく、従っていた。
中学生ともなると、そうはいかない。あんなことするもんか、となる。

中学生が、教員の指図通りに行動しないのは、問題ではあるが、その根は、小学校の運動会という無理無体な「やらせ行事」の、時間つぶしに原因がある。
あれは本当に困ったことだ。

踊りのような演技はすべてやめて、「かけっこ」だけにすればいいのである。練習なんて、不要である。

その場限りの、愚劣なダンスの振り付けの類を必死で覚えさせられて、挙句が、子供だましの「やらせ」だから、子供とはいえ、はらわたが煮えくり返ったことだろう。
二度と猿真似演技なんかしたくない。正直な気持ちなのだろう。

何度でも言う。
運動会を止めるべし。学校教育にとって、害のみ大きく、利のない代物である。
そんなにやりたければ、地域なり財団なりの責任で、社会教育またはイベントとして、するがいいだろう。