ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

大学は、私立も国立も、粗製乱造。教員のお仕事は、ますます楽勝となる。

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進学を考える親子が、一度は悩む問題がある。
大学は国公立がいいのか、それとも私立大学なのか。一体、どちらがお得なのだろう。
答えはない。

国公立は月謝が安いが、私立は高い、というのも、大した差ではない。所詮、たった4年間である。小学1年から高校3年までかかった費用や、大学卒業後の収益などを勘案すれば、4年間の学費の差など、無視できる。私大の理系、中でも医学部は別物だが、これも卒業後に十分すぎるほど回収できる。

だから、国公立だ私学だ何のと騒ぐ意味はない。
私立と国立で、設備や面積、教員一人あたりの担当学生数の差はあるが、どうせ、満足に勉強しない大学教員であり、学生である。無視でいい。

皆さん大好きらしい東大も、東工大も、予算で恵まれているが、では地方の大学がそれほど貧相なのかといえば、そうでもない。みんな、それなりの設備環境を整えて、生き残りに必死である。
その必死さが、東大以下旧帝大グループや都内のマンモス私大や目白の古い大学に、あるのかないのか。ないのである。

都内、某私大の場合、学生数に対して少ない食堂や図書室机席数、教室の狭さ、学生への各種便宜など、全然サービスが悪い。教員の不勉強ぶりは私立国立を問わず当然であるから、あえて述べない。

となると、心ある学生はどうするのだろう。

地方の高校生は、地元の大学に行くか、都会に出るかで悩んでる子が多い。都会への憧れ、などというのは、墨東綺譚の昔で、今はない。しかし、生徒の多くには、どんな遊びかは知らぬが、「東京で遊びたい」という本音があるようだ。

マスコミ志望の子は、都会の有名大へ行きたがる。地元の国大に現役で入るより、浪人してでも東京へ出たがる。大学や学部はどこだっていい。いちばん簡単に入れそうなところを選んで、首尾よく滑り込む。バイトに精出して、夜も昼も怪しげな関係を探し回って、ようやく、テレビなり何なりに入って、大喜びである。

地方大学では、マスコミ関係の就職は難しい。しかし、フェロモン満載の美人学生は別であるらしい。
何かと贔屓してもらえるからだが、所詮、一時期の花である。すぐに、「十九の春」の歌詞と同じになる。

そういえば、就職がうまくいかなくて、世間をごまかすために、留年するの学生が一時期、多かったが、今では、誰もかれもが大学院に行く。理系ならわかるが、驚くなかれ文系の学生までもが、院に進学する。
どうせ、不勉強な輩ばかりである。ろくなことにはならないだろう。

大学院生の研究発表会で、大学院教員のM(仮名、年齢58歳)が、一人ひとりの発表の後に、しきりにこう言う。
「で、今日の成果としては・・・」。なんだか、忙しない奴だと思ったが、考えてみると、なかなか正直な男である。

と言うのも、大学や院の研究会のほとんどは、プレゼンテーションの練習場である。パワーポイントだかなんだかを自慢げに使って、おしゃべりをする。
肝心の内容は、文章にすれば数十行ですむような代物で、その数十行も内容空疎というか、雨の日は雨が降る、といった程度である。

馬鹿馬鹿しい。

で、話を戻すと、Mは、もうこんな毎日に嫌気がさしていたのだろう。あるいはむしろ、少しでも何かを得たかったのだろう。
だから、研究会の度に、その会で、何か新しい知見を得ることができたのかどうかを、常に自問自答していたのである。

考えてみると、Mは、なかなか真面目な男だったわけである。
大学でのほとんどの研究会が、発表者にとっては、嬉しい学芸会で、聞き手にとっては、時間潰し以外の何ものでもないことを誰よりも感じ取っていたのだろう。
大学教員の気楽な毎日にも、少しは影はあるのである。

大学ついでに、高校の話もしておこう。

高校教員の仕事は、小学校や中学校の教員に比べると楽である。
しかしこれも、人によりけりで、当人次第であることは、あなたの職場と同様である。どんな仕事でも、それに見合った能力がなければ、苦しいものだ。

かつて、大学教員らの会合で、教員連のあまりの能力不足にあきれ果てて、面と向かって愚痴を言ったら、横の某教授がつぶやくには、「そういいなさんな、論文書けなくて苦労しているんだから」

私がどんなにその後、怒り狂ったか理解できるだろうか。
誰も論文と称する下手な作文を書いてくれと頼んでない。そもそも、まともな論文を書くこともできないで、何が大学教員、何が研究者だろうか。
「すぐに大学から消え失せろ」と気持ちだけで、口にしなかったのは、場を壊したくなかったからである。

それはともかく、高校教員も、一応、高等教育の分類だから、不真面目で不勉強な、できない坊主の男女を集めたような二流以下の高校でも、授業はそれなりに進めなければならない。
それどころか、私立や一部の公立では、生徒たちに、なんとか少しでも勉強させて、どこかの大学へ、進学していただかなくてはならない。

どうせ、進学先なんてたかが知れている所ばかりである。それでも、進学できなければ、私立高校なら、お客(新入生)は、来年から来なくなって潰れる。公立高校なら、委員会筋や校長会やら同期の連中から嫌味を言われて肩身が狭い。何より、教員自身が辛いだろう。
そんなわけで、下手な授業しかできなくても、生徒に、テストが解けるだけの学力らしいものをつけようと、教員なりに、がんばるのである。

高校教員でも、体育、音楽、美術、家庭科の類の教科を教えるのは楽勝で、生活は天国である。
国語や英語の教科担当は地獄である。数学は、すこぶる楽勝だ。あなたが、数学教員なら、知っているとおり。

理由はみなさん、すでにご存じだろう。

国語科は仕事量が半端ない。英語科はそれなりに高値で、安定職。数学は主要科目の中で最も安穏である。

その他の科目は、どれも楽勝過ぎるので、本人に志がなければ、やがて腐る。腐るのも、承知である。喜んで腐っていく。

こうしてみると、大学院も大学も高校も、教員の仕事は、対象の子供の年齢が上がれば上がるほど、楽ちんであることがお分かりだろう。