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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (hatena部)

日本人は、英語を話す使用人。英会話は時間の無駄なのか。

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小学校の英語学習は百害あって一利もない。「偽毛唐」の真似事になるだけである。
なるほど、英米語は、世界で大きな顔をしている。
だからといって、世界中がアメリカ語を話す必要はない。話せるわけがない。まして日本語だけで、十分に話が通じる日本ではなおさらである。

フィリピンやインド、シナなど、英語を話す連中が多いのは、発展途上国だからである。方言だらけで母語では発展がおぼつかない。
一方、日本は歴史の長い言葉を持っている。つまりは、豊かで深い文化伝統がある。外国文献の翻訳も世界一である。日本語が理解できれば、問題はない。
日本人で、英語が必要な人は、それが自分の商売に必要不可欠だからである。でなければ、外国語など、時間の無駄である。趣味な人は勝手にやってくれ。

ところが文科省はそうは考えない。日本全国津々浦々まで、英語を浸透させようとする。いったい、ここはどこの国だろう。

文科省は、「ALT・ネイティブスピーカーの活用」という御大層な題目で、アメリカ人のフリーターを、日本に大量に来させて、国民の税金でお小遣いをたっぷりやって、小中学校で遊ばせようという魂胆である。
これも、日本政府が、アメリカに献上する奉納金の類である。

小学校で、国語も満足に教えないで、何が、英語学習だろう。まともな日本語の文章も十分に書くことができないで、何が英単語だ。

しかも、アメリカからやってくるALTというのが、怪しすぎる。
以前、何人かの教員とカナダから来たALTとで、テニスをしたことがあった。ふてぶてしい態度で、ベンチに寝転ぶなり「日本の街は汚いねえ」だと。
こんなやつらを、教育委員会の担当職員はアメリカから、高給を餌に何人も連れ帰ってきた。彼らは、遊び半分、観光客気分で日本の街をうろつく。昼の学校は、ほんの片手間である。

馬鹿にされきっているぞ、日本人。


ところで、何度も言うように、大量の本は、良書を一般の読者から隠すためにある。
著者が生きている限りその本を読まない、というのはどうだろう。
著者の死後50年を経ても今なお、読むべき価値のある本と認められているものしか読まない、と覚悟するのである。

人は古典さえ読んでいれば、今風の堕本に、惑わされずにすむだろう。一瞥して、その本の価値がいかほどかを、見抜くだろう。
だからこそ、読書の楽しみは、古典にあるのではないか。

こんなことをいうのは、他でもない。国語の授業時数を、英語がどんどん侵食しているからだ。

言葉の習得、言語操作の訓練期間として、小学校教育は特別な意味を持つ。母語が確立される10歳前後までの国語教育が人間の思考の原型をつくる。

小学校では、日本の古典を叩き込むのが当然なのに、国語の時間に出鱈目なことをやっている。お粗末な、できの悪い、薄っぺらな教科書を使って、お茶を濁している。
しかも、文科省は「英語」を押し付ける時間を増やそうという魂胆で、すでに、「帯時間」や特別枠などで英語を増やした。
ついには教科化し、国語を圧迫し、ますます「英語教育」に力を入れる方向である。

亡国を通り越して、国賊の所業である。政府、文科省は、国語を蔑視し英語を持ち上げることで、無国籍の、「グローバル」で、ひ弱で、シナやアメリカに同化されやすい日本人を作ろうと、必死のようである。

さて、その挙句、英語を得意がって話しているが、なんのことはない、「昼何を食べた」という程度である。話の中身は上っ面で浅い。
話すべき内実を持っていないのに、口先だけの単語を転がしても、馬鹿にされるだけである。

その証拠が、アメリカ人である。世界中、英語の通じないところはほとんどないから、教養のない不躾で粗暴なアメリカ人でも、大きな顔で、のし歩いている。
外国語を、時間をかけて理解しなければならない国民から見れば、ウラヤマシイ。

英語は世界の「共通語」になった。すでに動かしがたい既成事実であるなら、日本人として、どのように英語を利用すればよいかである。

まず、会話は一切しないほうがいい。英文を読めることを第一優先にすべきである。その次には、英作文であるが、どちらにせよ、遅かれ早かれ自動翻訳の精度は徐々に上がる。

となれば、やはり日本語である。
日本語の使い方を、もっと訓練するべきだ。日本語が先で、英語の読解は、その後に続くのである。
都合のいいことに、この両者は両立できるどころか、互いに補足しあう。英語を学ぶことによって、日本語の上達が促進される。

ただし注意すべきは、学校教育で、英会話は無駄である。あれほど効率の悪い、「勉強もどき」は滅多にない。程度は低いくせに、実際の時間はとてつもなく浪費する、イケナイお遊びである。

英会話を含めて、英語教育の過度な重視には、大反対である。