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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

芸大の学生は幸せいっぱい。芸術学部は好きなことができる。作品の質はともかく。

paru 2

某大学芸術学部の卒業制作展覧会に行った。

どうにもこうにも、頭が痛い。

 

日本画は指導教官がそれなりの人なので、指導が厳しかったのだろう。子供の作品も、まあ見ることができた。

洋画は、ひどいのがあったが、多くは我慢をした。

彫塑は、なっていない。ちゃんと教えたのか?

現代表現になると、お笑いの域である。

 これは、一大学の問題ではない。先の大戦以後、現代の芸術は、頭高手低で、能書きばかりは立派だが、肝心の作品は小粒というより、下らないものになった。

「現代芸術」を、もとより未熟な学生が真似をするものだから、見るに堪えない、というより、参観者に失礼である。

 

俗に、コンセプトを売るという。芸術は、作品の美しさではなく、作品をこのように考えて作りましたとさ、といった説明の方に比重が傾いてしまった。

芸術は概念になったのである。目で見るのではなく、その前にまず、作者の動機を理解するものに成り下がったのである。

 

 

それはともかくとして、芸術学科は、子供には、相変わらずの人気である。

高い競争をくぐって入って、さあ卒業というとき、才能が有ればまだしも、ほとんどの卒業生は、教員になれれば万歳、そうでなければ、デザイン会社やその他もろもろの職場を求めて奔走する。うまくいかないことが、多い。

もとより、真の才能に恵まれた子供は別物で、これは一種の天才だから論外とする。

 

小さいころから絵をかくのが好きな子がいる。しかもうまい。絵を、描いて描いて、親にねだって、美術科へ進む。親も何を勘違いしたのか、あらぬ妄想で「子供の好きにさせます」とかなんとか。

 

まあ、これはこれで、いいことだろう。というのは、芸術学部の子供は、大学在学中、心底楽しんでいる。勉強が(あれが、勉強とするならば)楽しいのである、自分から進んでするのである。

思えば、幸福な「学生さん」なのである。

 

そこに、東京芸大や、大学芸術学部の人気の高さの秘密がある。

構内の学生の顔も、その多くは生き生きして、感じの良いものだった。