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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

まとまな音読をさせない国語の授業。研究会は、教員たちのグループ療法であるのか。

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今は流行らないが、二物衝突というか、子供の判断を試すような授業が盛んだった時期がある。道徳でもなければ、国語でもない。社会でもないし、倫理か何かのつもりだったのだろうか。

景気が良くて、とりあえず大きな心配がなくなると、どういうわけか教育に目が向く。そして、どんどん迷うものである。

授業後の検討会は、少年がロープをもって海に飛びこんだのは、是か非かなんて、小中高大学の教員らが、激論の風体である。

しかし、これは小学6年生の国語の研究授業であったはずだ。

原文がまずいとはいえ、仮にも教科書掲載の文章である。もう少しまともに読ませることを訓練したらどうだろう。

子供はつっかえつっかえ読む。間違って読んでも、指導者は上の空である。難しい顔をして、意味不明の発問をする。

次には、定番の、子供の発言、発表の時間である。

僕は○○さんの意見に賛成です、違う意見がありまーす、なんて型通りの話し合いごっこに終始する。

うんざりである。これは国語科の授業ではない。大人の口真似をして、駄文から、意見らしきものをひねり出す、練習である。

その意見というのがまたひどい。ステレオタイプで、○か×かである。

国語は国語らしく、日本語の名文を音読し、要約し、解釈し、書き写し、暗唱するがいい。

子供を泥沼に引き回すのは、大人たちに教養がないからである。教養は、大げさなものではない。ごく当たり前の常識のことである。

学校教育は、日本の文化伝統の継続と、次代の社会人としての基礎教養を培うことが、本務である。

教員たちのグループ療法のために、話題を提供する場ではない。