授業批評12
この課題の場合、言葉の説明だけでは不足だ。ビジュアルな例示があったほうがいい。
具体的な提示物・・ただし、言葉の訓練という意味では、指導者のことばをきいて、そこから作業をすすめるという方法もあるだろう。
子供「意味がわからない」「マークって、わからない、思いつかない」
指導者「みんな頭をやわらかくして考えてごらん」
指導者「絵をかくとき、ものさしを使わない」。
子供「まっすぐに線をひくときは」
指導者「絵のときは直線でも、ものさしをつかわない」
ま、これはいろいろ考え方があるが、定規を使うと、神経質になつて、時間がかかることが多い。結果的に消しゴムを使用することが多くなる。だから、これはこれでありだが、描きなれていない子供には、どうかな。気になって先にすすめないこともある。実際に使わなくても、使ってもいいのだという気持ちを持たせると、安心するしね。
記号の効果が、子供に理解できているかどうか。具体的に理解させることができれば、そこから、似たようなことを考えるだろう。だから、記号についてのエピソードが必要だ。ビジュアルといったのはそういう意味だ。
マークは普遍的で言葉を超えているはずのもの、とすれば、マークの言語的な説明は不要となるはずだ。
文字を使いません、見るのは日本の人ばかりではないよ、、というような枠付けをしたほうが、発想は広がったかもしれない。
子供「学校は描けないから」
記号の代表性を理解した発言だ。あれはピックアップすべき場面だった。
マークを検討するなら、むしろ児童に選ばせて、挙手で決めるというやり方もある。マークは、本来は、説明不要なはずだからだ。
選んだ理由は、説明文的にノートに書かせる方法もある(段階にもよる)
子供「神社に階段があるから階段」「でも、ないところもあるよ」
指導者「じゃ、地図のマークをつくろう。かんたんな、わかりやすいもの」 だけでは、作業に入る説明としては、どうかな?
簡単の具体例、だれにでもわかるような具体例が必要だ。
作業の時間の指定は、予想より多めにとっておいたほうがいい。
時間に追われて、焦るよりは、若干余裕を持っておくと、何かと吉。
地図マークと地図記号との違いは? 地図記号は、正式な言葉ではない?
授業に作業を取り入れるタイミングとその分量の予測をしたか?
作業を止めさせるときの、指示言の工夫がいるね。
とはいえ、指導者は落ち着いた対応だったし、全体を見る余裕があったので良。
自信を持ってゆったりと授業をすればいい。
授業は、今は少し早すぎるかもしれないが、考え方の一例として言えば、結局はその人の人間性、というか、トータルでの教養がものを言う。
授業技術的なものは、大切ではある。熱心にやれば、上達はする。だからといって、授業技術の上達ほどには、子供の変化は大きくはならない。技術だけでは、指導者の期待するくらいまで、子供は成長しない。
なぜなら、結局のところ、勉強(大きく言えば学問)は、本人の意思で学ぼうとしなければ、力がつかないことが多いからだ。
一定の授業技術水準を確保しても、それ以上の影響力は、担任の人間性というか、担任自身の勉強(学問)に対する接し方が、子供に大きく影響を与える。
だから、少々の失敗をしても気にせずに、指導者自身の「勉強」「学問的向上」への基本的スタンスを強く保つことだ。ぶれなければ、子供はついてくるし、結局は、子供本人に学力がついてくる。
だからといって、人間的な部分を強調して、実際の教える技術を軽視していいのではない。
言いたいのは、技術一辺倒になるな、広く学べ、ということである。