ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (hatena部)

女子学生に手を出して、自殺に追いやる大学教員。教員の「見立て」の大切さ。

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能天気な高校教員や遊び半分の大学教員は論外とする。

ここで言いたいのは、義務教育期の教員である。小学校中学校の先生である。

高校大学の教員と、小中学校の教員との大きな違いは、子供の発信する兆候を見逃してはならない責務があることである。

教員の仕事の肝要は、この一点にあるといってもいいくらいで、私が、大学や高校の教員を、特に大学のそれを馬鹿にするのは、この点からである。

医者でいえば、見立ててであって、見立てが優れていなければ、一人前の小中学校の教員とはいえない。

「見立て」を、知らない人もいるかもしれないので、一応、説明すれば、診断・予後・治療について専門家が判断した意見の総体のことである。

子供は、日夜、サインを出しているが、家庭ではその保護者である親が受け止める。または、受け止めるはずである。

学校では、教員が受け止めなければならない。

子供の出すサインを受け止めて、適切に応答する教員がいさえすれば、子供の成長は確実なものとなる。

教員が、サインに無頓着であったり、鈍感であったり、見逃したり、受け止め損なったりしたら、子供は失速または停滞、場合によっては墜落する。

これが子供の落ち込み、情緒不安定、病気や不登校、場合によっては自殺につながる。

子供のサインを、いち早くキャッチし、その裏の本音を見抜き、最適な指導をする。これが教員に必要な見立てである。

正しい見立てができるかどうかが、教員の価値を決める。もっとも、それが仕事なはずであるから、できて当然である。できなければならない。

大学教員はその逆で、見立てるどころか、万事いい加減に対応して、学生を不幸にすることが多い。

子供を突き放すだけならまだしも、女子学生に手を出して、妊娠させ、ついには自殺に追いやっても、知らんぷりである。

20歳過ぎれば、大人だ。互いに一人前の研究者だ、などと大嘘をついて、子供への責任を一切免れた気でいる。

だから、私は、かかる大学教員を「教員の恥知らず」「最下等教員」と考えている。

これは世間一般の、大学教員への評価と、違うだろうが、違って幸いである。