ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教員がおしゃべりしすぎ。子供の知的作業を待ってやることも、授業だ。ぱるるの授業批評5

f:id:paruru236:20170216205733j:plain

授業批評5

 

指導者が発言しすぎかもしれない。

ノートに書かせる場合は、書く時間をとること。

その間は、指導者は次々と発言しない。授業での沈黙に耐えること。

特に、大勢の参観者のいる公開研究授業では、静かな状況に指導者自身が耐えきれなくなり、話し過ぎになる。

 

ロバの説明をたずねる。挙手した子供を、指名して話させた。話を知っている子供に、筋を言わせた。それを聞いてない児童に対して、

今の○○君の説明を言つてみて、というふうな指導。きちんと聞くように、という指導のつもりだろうが、不要である。話の筋も、不要。

 

子供に「本を持つて聞きましょう」。まあいいが、これを続けないこと。指導者の考える「学習規律」が、できてきたら、黙読では、教科書は机に置いた方が集中する。線をひいたりする作業がある場合はなおさらである。

一授業で、一回は指導者自身が、声を出して読むこと。

 

①の設問が難しい。

「書いてから発表しよう」は、よろしい。最初はつらいものだが、だんだん慣れる。

設問が、板書も、プリントも、バランスが悪い。肝心の書くスペースが足りない。設問の表記にも、工夫すること。

 

②は、短く分けたほうがいい。そして短く答えさせるほうがいい。

 

多くの場面展開をまとめて書く力は、この学級の子どもには、まだない。焦るな。

しかし、物語のすじ・内容の確認を、黒板でいちいち示したのは、不要だ。このくらいの短い話は、一読でつかめるのではないか。

 

ここでのねらいは、内容そのものよりも、そこからある衝撃を受けて、自分の行動変容を起こすことに意味がある。今の道徳の流行りの一種。

判断力を養成するのが目的かどうかを、検討しておくこと。

 

内容理解に時間をかけすぎて、内面葛藤の吟味の時間が足りない。

児童の判断、という点の吟味が必要だ。..

②で、子供から、一つ一つのエピソードか、全部か、という質問が出た。指導者の設定のまずさのためである。しかし、すぐに子供が反応したことは良かった。ーーーと言いたいところだが、そうではない。あれは、検討の結果の疑問ではなく、設定そのものが理解不能で、質問せざるを得ない。それほどに、設定がまずかった。

 

③では、児童に書かせる時間が少なすぎる

 

指導者の期待した内容が、子供から出てこなかった。行為と行為の理由との混乱があった。

人の言いなり・・・指示する子供が0人の意見を同列に扱わないこと。ひとりの意見にも、子供によって、軽重・真偽がある。

 

指導者の最後のまとめ「自分で考えずに人のことばかりを聞いていると大変なことになる」「良いこともたくさんあったけど、それつて言われたまましたから? 自分で考えた.? 自分で考えて行動したからよかったってこともあるよね」「自分で考えることが大切」

と、ひとしきり説明の後、子供に書かせようとした時、

子供「ほんとのこと、書いていい?」

 

つまり子供は、本時授業で書くべきことが、建前だということを、ある程度知っている。

「どう思ったか」

これはけっこう難しい。

 

書かせるとき、もつと子供に任せよう。指導者が誘導しすぎかもしれない。

子供が自分のものを読むとき、子供全員に、「鉛筆置いて聞いて」。

これは、まだ書いている児童からすると、思考の流れが切れるのではないか。

 

自我の強さが他人の意見を取捨選択する力となる

 

(この稿について 参考 授業批評1