ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

その場にいない人の悪口と、好調会と狂頭会。人はいつまでも子供である。

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人は、その場にいない人の悪口を言うのが、無上の楽しみなのか、教員は、他ならぬ教員の悪口を言う。保護者の悪口は絶対に言わない。

校長会では、みんなで酒を飲みながら、人事を含めて人物批評する。次年度の教科の人材の情報を得るためならまだしも、その場にいない教員を嘲るためである。ついでに、教頭連中が集まるのを指さして、狂頭会だなどと嘲笑う。去年まで、お前もその一員だったのに、なんて誰も言わない。

自分たちで、校長会は好調会、だなんて寒い冗談で肩を抱きあってご満悦である。

馬鹿馬鹿しい。

30歳になれば30歳の、40になれば40の、60になれば60歳の、というように、その年齢に見合った思想が宿ると思いがちだが、そうではない。いつまでたっても、人は、その人のままで、子供なのである。

政治も同じことで、議場に集まる議員は、大臣や首相なぞ、憎んだり軽蔑したりしても、尊敬なんかしやしない。尊敬できるわけがない。

選挙の折には、悲壮な顔をして、どうか男にしてください、なんて泣きごとを言って、票を頼んで、やっとつかんだ立場である。そんな人物が、一人前の人物であるはずがない。議員なら、勝手口は同じだと、顔に書いてある。

政治と教育が同じだと言ってしまうと、身も蓋もない。少なくとも、教員は、次代を担う(はずの)子供を相手にするのである。

教員は、それなりの教養人品を持てとまでは言わないが、せめて学問への憧憬だけは、持ち続けなければならない。それは言動に出てくるはずである。