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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

現代国語の教科書は、駄文の集まりである。入試問題は、出題者のレベルに合わせて、解答してやればいい。

教科書、特に国語や社会の教科書がお粗末至極であることは以前話したが、社会科の教科書はいずれまた述べよう。

国語教科書に、小中高等学校と、ろくなものがない。大学の自称「教科書」は論ずるに及ばない。あれは資源の無駄である。

さて、どう粗末なのかと言えば、簡単である。あなたが、読んでみれば良い。

駄文の数々が、はたして、強制的に子供たちに読ませるべきものかどうか。

今生きている売文連中の文章を、読ませていいものかどうか。

教科書には、すべからく、歴史的に評価の定まった名文をのみ、掲載すべきである。そうしないのは、日教組の教員におもねったり、何某を流行作家にしたてて儲けようとする出版社の罠である。

現代文は、すでに鴎外、漱石荷風、潤一郎、直哉、敦、由紀夫以下、そうそうたる作品があふれている。著者も現存していない。作品のみで判断できる。そういうもので教科書を編むのが筋で、今生きている売文屋やタレント大学教員の駄文を載せて、いったいどうするつもりだろう。勉強の邪魔になるどころか、害である。汚らわしい。

いわゆる古文も、明治江戸文学から平安に至るまで、優れた文章が山ほどある。それすら載せないで、何が「国語教科書」だ。

馬鹿馬鹿しくて怒る気にもなれない。

あんなものはすぐさま破り捨てて唾棄すべきものだが、それはそれ、大勢には逆らえない。

教科書は瞬時にすませ、名文集を編んで生徒に配ってそれで学ばせた。おかげで、生徒たちの成績は抜群だし、進学も群を抜いていた。

自慢ではない。すべては、何を学ぶか、で決まるのだ。

ついでに言えば、大学入試の国語問題は、クズがくずを出している。

最初から意味不明の悪文を選びに選んでいるので、現代国語の問題は難解だと言うのが、定説になっている。

何が難しいものか。

愚かな出題者の能力と意図とを見抜いて、彼らの想定する模範解答に近いものを、半開きの口の中に、放り投げてやればいいのである。

生徒にはこう話した。

諸君の方が、出題者よりも能力は上である。従って、諸君の答えは常に正しいが、正しい答えを書いても、出題者は自分の能力を越えたものを、間違いとするだろう。だから、出題者の意図及びレベルを見抜いて、相手に合わせて書いてやれ。